藤枝 田中城、のココロ。

ザーバーで不具合がおきてしばらく無沙汰をいたしましたが、D社のMさんのおかげでようやく復旧が叶いました。
残念なことに過去のlogの多くが消えてしまいましたが、気を取り直して再スタートします。
続・ふるさとしずおかのココロ。のはじまりはじまり。

 

IMG_2750さて、きょうは、ふるさとしずおかは藤枝 田中城のおはなし。
就職したての頃、当時はナビなんてものはありませんから、初めての客先訪問はもっぱらゼンリン地図がたよりです。
藤枝市域南部のページをめくると、田んぼの中になぜか大きな同心円がいくつか。
そう、これが田中城の跡地、同心円は四重にも及ぶ直径およそ600mの堀の遺構だったのです。

 

明治の廃城から約150年。田中城は、それまでの約500年間、同地の鎮守の要であったといいます。
城の跡地は学校や宅地、または農地として活かされ、今やその面影はありませんが、戦国の世には、今川、武田、徳川とその主を替え、江戸の世になり田中藩が置かれると、歴代の藩主のうち多くが幕政に名を連ねるような出世をしたと伝えられています。
藤枝に城なんてあったの?地元の人がこういうほど地味な存在ですが、往時の田中城が浜松城、掛川城と並び三大出世城といわれたのにはそんなわけがあったのだそうです。
そうそう。それに、ここは家康公の死去と深~い関わりがあるんですねぇ。

IMG_2754 平成になると、四重の外曲輪の南東にあった城主の下屋敷が一部再現され、『史跡 田中城下屋敷』として、観光スポットや近隣の人々の憩いの場として生まれ変わりました。
敷地には庭園が再現され、春にはアヤメやカキツバタ、初夏にはアジサイなど、それはそれは美しい花を咲かせます。
また、城の本丸櫓が移築整備され、在りし日の田中城下を偲ばせます。

1570年、武田氏がこの城を落とすと、武田四天王に名を連ねる名将 山県昌景は200騎で在番したそうです。
昌景麾下の侍大将だった我がご先祖様も、もしかしたらこの地に具足を脱いだのかもしれません。

しかし、ここ入場無料なんですねぇ。
見事な茶室も本丸櫓も観覧するだけです。
庭園や建築物を維持するには結構な費用がかかりそうです。
行政の予算には限りがあるのが見て取れます。
もっと来場客を増やして、自力で稼げないもんですかねぇ。

ねぇ、藤枝市民の皆さん。
知恵と汗を絞ってなんとかしませんか。
本当によいところなんですから。

あとね、ボランティアガイドのお二人が素晴らしい。
まさに、郷土史の生き字引。
こういう方々が元気なうちに先々の見通しを立てたいですねぇ。

IMG_2783 で、きょうのオマケは焼津は大住 十割蕎麦の『楽食庵』。
なんと、機械打ち。
手打ちじゃないなどと侮るなかれ。
老舗日本料理で磨かれた大将の確かな腕が、見事な機械打ちの十割蕎麦と出会い、瑞々しくも深い味わいの蕎麦を生み出しました。
今、一押しの蕎麦屋です。
見かけは掘っ立て小屋だけど。

 

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木の花の、ココロ。

えー、きょうもふるさとしずおかについて。

ふるさとしずおかといえば、その象徴は『富士山』。
きっと誰もが納得のことだと思います。 この富士山。
いにしえの太古から、ふるさとしずおかの人々のみならず、日本国内の多くの人々の信仰を集めてきました。
富士宮にある富士本宮浅間大社には、富士山の神霊である浅間大神と記紀神話のヒロイン 木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)が祭られています。
コノハナサクヤビメは、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫で、大神の命により高天原から葦原の中つ国に降臨した瓊瓊杵尊(ニギニノミコト)に嫁ぎ、この系譜が初代神武天皇に繋がるわけです。
さぞや美しい姫君であったと思いますが、その美しい姫の名が示す『コノハナ(木の花)』とは、いったい何の花なのか?
なんと、それは梅でした。木の花とは、梅の花の別名だったのです。

IMG_2525ふるさとしずおかは羽鳥、久住山の麓に梅の名刹で知られる洞慶院と呼ばれる禅寺があります。
藁科街道を北上し久住谷川橋を右に折れ、住宅街を過ぎると景色は一変します。近年、宅地造成が進み山里とは言えませんが、それでも、住宅地からこれほど近いところにこんなに時がゆっくりと流れるところがあるのかと驚きます。
境内の西に広がる梅園には約400本の梅の木が植えられ、2月から3月には、コノハナサクヤビメのように美しい色とりどりの花を咲かせるといいます。

IMG_2526小雨の中見渡す梅園には六分咲きの梅の木が広がります。
黄色い蝋梅は既に見どころを過ぎましたが、白梅、紅梅はこれからが本番です。
ふるさとしずおかには、ちょっと足を伸ばせばこんなに良いところがあるのです。
ほんと、いいですねえ。ふるさとしずおかは。

IMG_2509-150x150きょうのおまけは、洞慶院近くに新しくオープンした、イチゴのなかじま農園のスイーツ。
見た目も美しいですが、その味にも驚きます。
主役はもちろん自慢のイチゴ。ほのかな酸味をのぞかせながらもフレッシュで甘みの強い大きな粒に圧倒されます。
しかし、実は、脇役のホイップやアイスクリームもいい仕事をしているのです。
今、大行列の人気スポットです。

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おおみたからの、ココロ。

当blogをお読みの皆さん、あけましておめでとうございます。
拙い文章ですが、今年もふるさとしずおかについて書いてまいります。
どうか、オフィシャルサイトのコラムともども今年もよろしくお付き合いください。

さて。
きょうが仕事始めという皆さんが多いようですが、初詣はおすみですか?
ふるさとしずおでは、初詣といえば浅間神社、浅間大社、法多山、三島大社、小国神社などですが、中世以前は、ご近所の神様である『氏神』にお参りするのがそもそもの風習だったといいます。

IMG_2442ふむふむ、氏神さまか。なるほど。
以前、本blogでも触れた古代日本のスーパースター日本武尊。
オトタチバナヒメやミヤズヒメ、フタジノイリヒメなど多くの妃を迎えたといいますが、妃との間に生まれた多くの皇子のうち第二子が皇統を継ぎます。
第14代 仲哀天皇。
近年では、その実在が疑問視されているこの天皇は、記紀神話では、神功皇后の夫として、あるいは応神天皇の父として知られています。
皇后や武内宿禰とともに九州の熊襲征伐に出陣し、矢を受けて崩御したと伝わりますが、その後、神となりました。

我が家の近所にひっそりと建つ『青木神社』。
この神社に仲哀天皇が祭られています。
小さな小屋のようなお社の前に大きなご神木。
しょぼい神社なんて言ってはいけません。
尊いすめらみこの皇統を継ぐお方をお祭りしてあるのです。

IMG_2440諸外国の支配者と違い、建国の神武天皇以来、天皇は民を『おおみたから』と呼び大切にしてきました。
日本は良い国です。
どうか、そんな日本に、そしてふるさとしずおかによき一年となりますよう。
そして、『おおみたから』のみなさんに益々の幸せが舞い降りますよう。

オマケは、ふるさとしずおかは東鷹匠の とんかつ かつ藤 のロースカツ定食。
住宅街に人目を避けるようにしてひっそりと暖簾を構える老舗です。
さらっとした脂の臭みのない柔らかい肉質が特徴です。

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修善寺、のココロ。

すっかり寒くなりましたなぁ。
しかし、東や西の地域が大雪に見舞われているというのに、ふるさとしずおかは寒いとは言ってもまだまだ過ごしやすい。
本当に恵まれたところです。

ところが、本blogでも度々触れているように、その恵まれた地域の人口減少が速度を増して進んでいます。
新聞でもしょっちゅう取り沙汰されています。
『県人口370万人割れ。』
『産業空洞化、転出止まらず。』
『雇用ミスマッチ深刻。』
これらの問題には、直ちに、そして真剣に取り組まねばなりません。
そういえば、間もなく衆院選ですな。
こういうことに着目した投票を心掛けなくては。

さて、きょうも、ふるさとしすおかの良いところについて。
いろいろな問題が山積みでも、私たちのふるさとしずおかには良いところがいっぱいあるのです。

IMG_2321IMG_2313修善寺というと、まず思い浮かぶのが温泉。
そう、伊豆で最も歴史がある温泉。全国名湯百選にも選ばれています。
美しい桂川が流れる、小さな風情のある温泉街です。
この修善寺。地名として有名ですが、もともとは同地に立つ禅寺の名前。
802年、弘法大師によって建立された曹洞宗の古刹 修善寺です。

IMG_2327土地柄、北条氏とゆかりの深いこの寺は、鎌倉時代には時の為政者やその縁者の幽閉先として、度々表舞台に登場します。結構ダークな歴史があるのです。将軍暗殺とかね。
とはいえ、晩秋から冬にかけての修善寺はまことに美しい。
静かな竹林と紅葉に囲まれ、桂川の流れに耳を澄ませば、日頃の憂いが晴れるようです。
古刹 修善寺には、非公開の美しい庭園があります。大正天皇が東宮でいらした時に東海一の名園とお墨付きをいただいた、それはそれは美しい中庭。
大切な誰かと肩を並べて歩けばまた格別です。

IMG_2329きょうのおまけは、修善寺の蕎麦の名店 朴念仁。
何度か訪れましたが良い店です。
しかし、旨いけどちと高い。これなんと一人前2,200円。
おむかえの500円のワンコイン蕎麦 さくだ のテントも負けず劣らず大盛況でしたよ。
次はそっちに行くのだ。

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油山寺で精進を考える、のココロ。

数日前の新聞。
日本では、『若者の失業率が中高年のそれよりも高い』という記事を見つけました。
うーむ。なるほど。
実は、この若年層の離職については、私が今の仕事に就いたころからよく話題になっていました。つまり、もう20年前も前から。
『3年で3割の新卒が職を離れる』といわれてからも久しい。
この傾向は今も続いているんですね。
総務省によると、14年9月の完全失業率は3.6%。これは改善傾向にあります。
このうち、15歳から24歳は5.9%、25歳から34歳は4.6%。
35歳から54歳が3.3%といいますから、確かに若者の失業率は高い。
彼らの離職の理由は、賃金をはじめとした条件や仕事の内容がマッチしないからだそうです。
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えー、きょうも、ふるさとしずおかについて。
遠州袋井の油山寺。遠州三山に数えられる名刹です。
紅葉の名所としても知られるこの寺は、701年、行基によって開山されました。
なんと、1700年以上の歴史があるのです。
23日の新嘗祭には神社参りをするのが日本人ですが、
お出掛けついでに足を伸ばしました。

山門は城郭作り。それもそのはず、掛川城の大手門を移築したのだそうです。
本堂は江戸中期、三重塔は鎌倉期の建築と、紅葉以外にもたくさんの見どころがあります。
IMG_22921-150x150IMG_22991晩秋の冷気が頬を刺し、空気全体が心地よく張りつめているような気がします。 こういうところに来ると、『精進』することの大切さを感じたりします。
『精進』。つまり、一つのことに集中して励むこと。
茶道、華道、剣道、柔道などに用いられる『道』という漢字がありますが、この『道』という字が示す意味も似ています。
人が同じ道を行ったり来たりして極みに達することを意味するのだそうですが、人の人生も、大局的に見るとそういう一面があります。

若いうちに仕事を変わることは悪いことではありません。
むしろ、そのほうが良い結果に繋がることもあります。
私だって、若い頃はポイポイ転職しました。
しかし、だからこそ私は思うのです。
それって、『精進』しているのかなぁと。
やっぱり、『道』を行ったり来たりして高みを目指す努力もしなくちゃね。

IMG_2251で、きょうのおまけは、牛山精肉店の塩チャーシュー。
沼津は三園町にある肉の名店です。
厳選の国産黒毛和牛とこだわりの牛山ポークで有名ですが、思わず『うーむ』と唸ってしまうのは、ここの大将の肉に賭ける情熱と確かな眼と腕です。
こういう人を『匠』というんですね。
写真の塩チャーシューは、肉派を唸らせる逸品です。
全国どこでも電話で注文受け付けますから。
海外は無理かな。

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2025年、70万人をキープしよう、のココロ。

きょうも、ふるさとしずおかについて。
全国の求人倍率が少し下がったようです。1.09倍。
ふるさとしずおかは横ばいで1.08倍。
まだ全国平均を下回っています。
11月1日の日経新聞によれば、静岡県の有効求人倍率が全国平均を下回るのは、これで28か月連続だといいます。
IMG_2272しかし、一方でこんな市場でも新規求人は増え続けています。
ふるさとしずおかの新規求人倍率は、前月に較べて0.04ポイント増の1.68倍。これは僅かながら全国平均を上回っているそうです。
押し上げているのは、介護・医療とサービス・小売り。
製造業は微増。少しづつ労働移動が進んでいるようです。

そんな中、静岡市は15年度から向こう8年間の市政運営方針を示す『第三次静岡市総合計画』の最終案をまとめ、
団塊の世代が75歳以上になる20125年に総人口70万人を維持することを目標
IMG_22631に掲げました。
統計によれば、静岡市の人口は99年の71万6,000人をピークに減少に転じ、25年には65万3,000人まで減少するとされています。
つまり、プラス5万人を実現しなくてはならないということですが、これは本当に大変なことです。
市は、この実現のために、市外への転出が目立つ20歳前後の進学や就職の場を充実させたいということですが、
果たしてその具体策は…。

私は、かねてから観光に重点を置くことが地域振興の重要な手段となると考えていますが、
この観光重視はサービス・小売りと表裏一体です。
若い人たちには、是非ともそういう世界に身を投じて業界や地域を盛り上げてほしいなぁと思うのです。

IMG_22761きょうは、遠州森町にある大洞院の紅葉を紹介。
大洞院は、15世紀初頭の開創で、全国に3,000を超える末寺を持つ名刹です。
あの、次郎長親分の子分 森の石松が眠る地として、全国のギャンブラーの聖地の一つとなっています。
石松の墓石は、縁起担ぎで参拝者が削り取って持ち帰るので、なんと現在は三代目なのだそうです。
見ごろには少し早い時期でしたが、古くから紅葉の名所として知られるだけあって、多くの観光客が訪れていました。
静かな山里がにぎわう束の間の季節です。

IMG_22611おまけは、島田市は金谷の 麺や 奏心(そうしん)。
ここのラーメンは、最近一押しです。ダントツのナンバー1。
にぼしなどの魚介や鶏がらの出汁に店主のこだわりと丁寧な仕事が滲み出ます。
なぜか、この店に行くと、よく古い馴染みに偶然行き会います。
不思議だなぁ。
きっと、みんな好きなんだね。

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御幸、のココロ。

60年代中盤、少しとがったアイビールックに身を包み、当節のストリートカルチャーの担い手となった若者を、人々は『みゆき族』と呼びました。
若い頃、憧れたなぁ。洒落た人たちがいたんだなぁって。
石津謙介のVANや少しコンチネンタルのJUNのイメージが重なり、彼らがファッションの一部にしたLotusやHONDAのスポーツカーにも痺れました。
彼らは、銀座のみゆき通りにたむろしたことでこう呼ばれたのだそうです。
私たちから見ると、おじさんおばさんにあたる世代の50年も前のカルチャーです。

ところで、この『みゆき』。
漢字で書くと『御幸』と書きます。もしくは『行幸』。
つまり、天皇の外出を意味する言葉ですが、今ではその通る道を含めてそう呼んだりします。
『御幸』と名のつく通りは全国にあまた存在しますが、ふるさとしずおかでも駅前にドーンと走っています。そう、御幸通り。
知人のフードコンサルタントによると、JR静岡駅から北へまっすぐに伸びるこの通り、正式には県道27号線 井川湖御幸線は、1930年の昭和天皇の静岡御幸にちなんで名付けられたそうです。
御幸町というのは比較的新しい町名ですが、さかのぼれば由緒正しきいわれがあるんですな。
IMG_15853そして、もうひとつ。
東海道は、江戸から数えて16番目の宿場町 由比宿。
この由比宿の本陣は、現在は本陣公園として再整備されていますが、その公園内に『御幸』を名乗る和風建築が建っています。
『御幸亭』。
この御幸亭は、明治帝が行幸された折にご休憩なさった本陣の離れを移築したものだそうですが、控えめな印象ながら、細部にわたって入念な演出が施された素晴らしい数寄屋建築です。
小堀遠州といわれる北側の枯山水は一見の価値あり。

IMG_15824山岡鉄舟や徳川家康にもゆかりがあるのだそうです。

そうそう。
由比といえば、先週から桜えびの秋漁が始まりましたなぁ。
どうですか?この週末あたりに出かけてみては。

ふるさとしずおかは、本当に見どころがいっぱいです。

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文化の日に御用邸、のココロ。

『忘れられない人がいる どうしても会いたくて』
と歌ったのは小田和正。
秋はセンチメンタルな季節といいますが、なぜか最近、そういう思いを抱えた男子の相談が多い。
海を隔てた遠い地に思いを残してきた人もいれば、すぐ近くにいてももう会えないという人もいます。
悩ましいですなぁ。
しかし、そういう悩みはいいと思います。男はそういう思いを抱えて大人になるのですな。
IMG_1487えー、きょうもふるさとしずおかについて。
きのうは文化の日でした。明治帝がお生まれになった日。
そんなわけで、沼津は島郷にある沼津御用邸記念公園を訪れました。
沼津の御用邸は、1893年に大正天皇(当時は皇太子)のご静養のために作られたものですが、本邸に加え、しばらくして皇孫殿下(のちの昭和天皇)のご静養所とご学問所のそれぞれ西付属邸、東付属邸が造営されました。
IMG_0098大東亜戦争末期の沼津空襲で本邸が焼失し、今は付属の両邸を残すのみですが、15万平方メートルにも及ぶ広大な敷地は、北に富士を望み南に内浦の海を抱え、温暖な同地が日本有数の避寒地であった往時を今に伝えます。
海沿いに立つと、東に牛臥山、南に伊豆は大瀬崎が見えます。当時は、この地を海の軽井沢などと称したそうです。
現存する付属邸はともに明治年間に造営されたもので、京都で見ることのできるような更に年代をさかのぼったものと比べると近代的でかつ質素にも見えますが、皇室のみに使われる十六八重表菊の紋章の示す通り、実に荘厳な贅を尽くした建築物です。
実にすばらしい。
IMG_7243西暦2014年は皇紀2674年。今上天皇は第125代の天皇です。
喧騒を離れた別世界で、皇統と国の歴史を思う良い一日になりました。
ふるさとしずおかには、こういういいところがたくさんあるんですね。

ところで、冒頭の歌はこう締めくくります。
『いつかきっと会えるその時まで、僕はここで待っているから』
現在を生きる女子と違って、男子は過去と未来を生きる生き物なんですなぁ。
頑張れ、男子。

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丸子の大鯛焼き、のココロ。

『丸子』と書いて、ふるさとしずおかでは『まりこ』と読みます。
なぜか、懐かしい感じがする名前ですが。
古くは『鞠子』と書いたそうですが、この丸子、江戸期には東海道の20番目の宿場町として栄えました。
今ではとろろ汁の里としておなじみです。
IMG_2214えー、きょうは雨でしたなぁ。
秋の長雨と言いますが、この雨は明日まで続くようです。
そんなあいにくの空模様の中、ふるさとしずおかでは大道芸が始まりました。今年もまた一流のパフォーマーが世界中からこの地に集います。
どうか、盛大なお祭りになりますよう。

IMG_2213さて、そんな喧騒を離れ、きょうは丸子は大鈩(おおだたら)に来ています。
繁き木立に降る秋雨がたてる音が耳に心地良い。
あとは、静かな川のせせらぎしか聞こえない静かな静かな山里です。
鞠子宿は、同地の難所 宇津ノ谷峠を越えた、あるいは越える宿場でした。
広重の東海道五十三次にも在りし日の姿をとどめています。
古の旅人は、鞠子宿に草鞋を脱ぎ、とろろ汁で旅の疲れを癒したのでしょう。
そう思える風情を平成の今も残しています。
IMG_2215そんな山里に、数年前あらたな名物が誕生しました。
丸子の大鯛焼き。
『大鯛焼き』と名乗るくらいだからその大きさは相当なものですが、職人の池田さんが焼くこの鯛焼きの本当の特徴は、パンパンに詰まった北海道産の濃厚な粒あんとカリカリモチモチの皮。
これが実に美味い。話題性と中身が両立した見事な名物といえます。
ちなみに、その大きさは大中小の品揃えで、それぞれ60cm、26cm、16cm。
小だって結構な食べごたえです。
できれば誰かさんと半分こして食べるのがよろしい。
店の裏にはなぜか水琴窟もあったりして。
竹の筒を耳にあてると美しい琴の音のような水音が聞こえます。

そういやあ、2年半前にもこの鯛焼きのこと書いたなぁ。
尾頭付きだから洒落を利かせたご進物にもなるね。

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弥生人、のココロ。

もう30年くらい前の話ですが、大学生の頃、ガールフレンドのレポートを代筆したことがありました。
テーマは『日本人はどこから来たか』。
深いですなぁ。
どんなふうに話を展開したのかは忘れましたが、どうも、私たちのご先祖様は、北方や南方から、実に多岐にわたるルートでこの島国に渡来したようです。
IMG_2192私たちの世代が学校で学んだ歴史によれば、稲作文化をたずさえたいわゆる弥生人は、大陸から半島を経由して九州に上陸し、土着の縄文人を南と東に追いやりながら東進したのだそうです。
つまり、ご先祖様には半島の血も交じっていたということですが、最近の研究では、実はそうではないことが分かったのだそうです。
古墳文化や遺伝子を調べると、半島には当時の日本人が逆上陸したのだと。
なんでも、『倭国』というのは、かつては九州の北部と半島の南部にまたがっていたのだそうで、古代の半島に存在した伽耶とか任那というのは倭人の国だというのです。
まぁ、それはともかく、弥生時代は水稲耕作の伝来で幕を開けました。諸説あるもののその始まりは紀元前5世紀。その後、この時代は紀元3世紀ごろまで、約800年にわたって続いたということです。
IMG_2193ふるさとしずおかで弥生時代とくれば、真っ先に思い浮かぶのは『登呂遺跡』。
訪れたのは、実に40年ぶりのことです。
弥生時代後期の水田、集落の遺跡である同公園は、現在は静岡市によって管理される公園です。
同園は、地元の人々の憩いの場としても利用されています。
園内には、竪穴式住居や高床式倉庫が再現され、併設の博物館では貫頭衣を着て火おこしも体験できます。
建築物や衣服、生活のための土器やその他の調度など、機械もない時代に、彼らはよくぞこんな文化的な生活を営んだと感心します。何千年もの間、脈々と続く人の営みを思うと、なんだか日頃のちっぽけなことで悩むことがばかばかしく思えたりします。
IMG_2195ちょうど良い気分転換になりました。
いいところですねぇ。ふるさとしずおかは。
ちょっと足をのばせばすぐにこんないいところがある。

で、登呂遺跡といえば、やまだいちの餅の家。76年に建ったそうです。
おススメは『からみ餅』。
これもまた美味。

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