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駿府の蕎麦はなぜウマい、のココロ。

蕎麦というのは、もともとは米が育たないやせた土地でも実が実ると古くから栽培されていたそうですが、長い間、蕎麦がきのように練って塊状のものを食べていたといいます。今のような蕎麦切りで食べるようになったのは戦国末期から江戸初期にかけて。
以来、400余年。全国各地で様々なご当地蕎麦が育まれました。

IMG_2080 蕎麦と聞いて最初に浮かぶのはやはり『せいろ』。
私は、二っ八よりもコシと香りの強い十割がよい。
少し辛めのツユにちょいとつけて、あとは勢いでズズっと一気にいく。
しっかりとした歯ごたえと、鼻から抜ける香ばしい匂い。
幸せを感じます。
つゆに香る鰹だしの匂いもまたしかり。
寒くなれば、温かい『天南』、『玉子そば』、『にしんそば』もいいですね。

ところで、以前 本blogでも触れましたが、江戸には及ばないもののふるさとしずおかにはうまい蕎麦屋が意外に多い。
本格派のこなや、黒麦、まえ田、きしがみ、KURITAなど。
ややカジュアルですが、人気店の八兵衛、そば半、戸隠、つむらやもよし。
老舗といえば『河内庵』、『安田屋本店』。

IMG_0500ある調査によると、静岡県の蕎麦店は877軒で全国第9位。人口10万人当たりの店舗数は約24軒で全国第12位。これだけみると、それほど蕎麦に親しんでいる雰囲気は感じません。
しかし、歴史を紐解くと、ふるさとしずおかの蕎麦がなぜうまいのかがいっぺんに納得できる二大事件が見つかります。
1605年~16年の家康公の大御所政治時代と1869年~91年のケイキさん来静。
このとき、ふるさとしずおかには、この徳川宗家のビッグネームとともに江戸から優秀な蕎麦職人がたくさんやってきたのです。
FullSizeRender1江戸の人口が15万といわれた大御所政治の時代、なんと駿府の人口は10万とも12万ともいわれ、京大坂に次ぐ日本でも有数の大都市だったそうです。
賑わいのある城下町に江戸蕎麦が根付き、それが400年の間に受け継がれ、今日のものになったんですね。

 

しかし、ふるさとしずおかの蕎麦つゆ。江戸蕎麦と比べてかえしがやや甘め。
これが特徴なんでしょうなぁ。

というわけで、きょうは、ふるさとしずおかの蕎麦はうまいというお話でした。
やっぱり、ふるさとしずおかはいいところだねぇ。

【写真】上から裾野『蕎仙坊』せいろ、
葵区伝馬町 『KURITA』 天ぷら、
葵区平和 『こなや』 玉子とじ

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紅葉狩りは修善寺へどうぞ、のココロ。

すっかり涼しくなりましたな。
季節の移ろいはまことに早い。
気が付けば山々は赤や黄色に色づいて紅葉狩りの季節がおとずれました。
というわけで、きょうも、ふるさとしずおかのよしなしごとを。

IMG_2330紅葉狩りといえば、ふるさとしずおかにもいくつもの名所があります。
西では遠州一之宮の小國神社、中部では寸又峡、梅ヶ島。
そして、東部では天城峠や河津七滝などなど。
異論を承知で挙げれば、富士五湖の紅葉も見事です。

そして修善寺。
修善寺というと、まず思い浮かぶのが温泉。
そう、伊豆で最も歴史がある温泉。全国名湯百選にも選ばれています。
美しい桂川が流れる、小さな風情のある温泉街です。

IMG_2313この修善寺。地名として有名ですが、もともとは同地に立つ禅寺の名前。
802年、弘法大師によって建立された曹洞宗の古刹 修善寺です。
土地柄、北条氏とゆかりの深いこの寺は、鎌倉時代には時の為政者やその縁者の幽閉先として、度々表舞台に登場します。結構ダークな歴史があるのです。将軍暗殺とかね。

IMG_2327晩秋から冬にかけての修善寺はまことに美しい。
静かな竹林と紅葉に囲まれ、桂川の流れに耳を澄ませば、日頃の憂いが晴れるようです。
古刹 修善寺には、非公開の美しい庭園があります。大正天皇が東宮でいらした時に東海一の名園とお墨付きをいただいた、それはそれは美しい中庭。
大切な誰かと肩を並べて歩けばまた格別です。

IMG_2329きょうのおまけは、修善寺の蕎麦の名店 朴念仁。
旨いけどちと高い。これなんと2,200円。
おむかいの500円のワンコイン蕎麦 さくだ のテントも負けず劣らず大盛況でした。

 

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三島の湧泉と江戸かわりそば、のココロ。

我がご先祖様が徳川四天王の井伊直政に召し抱えられたしばらくののち、武田の遺臣はいつの日かのお家再興を誓い、おのおのが自らに使命を課し駿河の各地に散らばります。あるものは水路を確保し、あるものは田畑を耕し、来たるべき日のために力を蓄えておくのです。
かつてお世話になった方に、ふるさとしずおかの宿場町の大庄屋のご当主がいらっしゃいました。
ご先祖は、お家再興のため密命を持って甲州から駿河に下った武田の遺臣。
当時は、筆舌に尽くしがたい苦労があったのでしょう。
しかし、時は流れ世はすでに徳川の治世。お家再興の夢は断たれ、この地で土と共に生きる道を選んだといいます。

IMG_3141戦後の農地解放で多くの地所を失ったものの、街道筋に残る本家は、今も当時の隆盛を偲ばせます。江戸期には参勤交代によってもたらされる東西の珍しい植物が集まり、日本で初めての私設植物園となったのだそうです。 お家再興の夢は散っても、同家は『帯笑園』という名と、ゆくりなく人が出会うサロンとして多くの文化財を後世に残しました。

JR東海道線 三島駅のすぐ南に『楽寿園』と呼ばれる名園があります。
75,000平米ともいわれる広大な庭園は木々に覆われ、市街地からの眺めはまさに『三島の杜』ともいうべき景観ですが、この姿は、明治期の半ばに小松宮彰仁親王の別荘として整えられたものです。
IMG_3142その後、楽寿園は李氏朝鮮の皇太子の所有となり、昭和の初めに、伊豆の造船王 緒明圭造氏の所有を経て、戦後、一部を除いて三島市のものとなりました。
よく三島は水の町といわれますが、それは、この楽寿園に湧く富士の湧水によるものです。
園内にはいくつもの湧泉や清流が見られ、宮の別邸 楽寿館や小浜池などと合わせ、多くの見どころを持っています。

前述の大庄屋のお家は、この楽寿園ともご縁があったのだそうです。
ご当主によれば、楽寿園を分割解体から救った緒明家からお輿入れなさった方がいらしたとか。

ふるさとしずおかにはいいところがたくさんありますねぇ。
そして、それぞれに魅力的なヒストリーがある。
どうですか?そんなことを考えながら、久しぶりに楽寿園を散歩してみては。

FullSizeRenderで、きょうのおまけは、楽寿園南の江戸かわりそば 飯嶋のお蕎麦。
この時期のかわりそばは、シソ切りとレモン切りです。
美味いですよ。
味わいのある田舎そばとお上品なさらしなもおススメです。
江戸というだけあってつまみも豊富ですから、散歩の後にまずは蕎麦前で一杯ってのもオツですな。

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