今をさかのぼること千と三百年余り。
わが日本は、仏教による鎮護国家政策によって、天平文化が花開いた時代でした。
大化の改新の立役者 藤原鎌足は、氏族を子孫の代に渡って国の中枢を担う一族に育て、
その血筋は、不比等の子 藤原四兄弟のとき、北家、南家をはじめとした四つの名家を立てるに至りました。
さて、きょうも、ふるさとしずおかのよしなしごとを。
わがふるさとしずおかは、奈良や平安の都とはそれほど縁が深そうな感じはしませんが、実はさにあらず。
見渡してみると、ここかしこにいにしえからの名残を見ることができます。
平安期に、藤原南家に連なる維清が、駿河の国 有渡郡は入江を本貫として入江氏を名乗ります。
その入江氏から分枝した蒲原氏が築城したと伝わるのが蒲原城。
南北朝時代から戦国末期まで、長きにわたり要害の地の守りとなった小さな山城です。
戦国期には、南下する甲斐の武田氏と相模の北条氏、さらには、当時この地を治めた駿河の守護 今川氏の間で、蒲原の領有をめぐり幾度となく小競り合いがありました。
それもそのはず、この地は東西を結ぶ要地であるにもかかわらず、海と陸地に挟まれ往来には難所といえる、まさに要害の地だったのです。
いにしえの蒲原城の名残は、旧東海道 蒲原宿の北、由比ヶ浜と薩捶峠を眼下に見おろす山中にあります。
曲廊、土塁、堀切に往時の姿を偲ばせる城址は、南は崖、その他三方も深い谷に遮られ、まさに堅牢な山城であったとこを今に伝えます。
ところで、この蒲原には、家康公がその山を背に御殿を構えていたことから「御殿山」と呼ばれる桜の名所があります。
毎年この時期には、ソメイヨシノと大島桜 合わせて1,000本にも迫ろうかという桜が満開の花を咲かせ、地域の人々に春のうららを披露します。
こうして、ほんの少しだけ目を凝らしてみると、今では通り過ぎるだけのかつての小さな宿場町にも、ここかしこに味わい深い見所があることに気付きます。
ふるさとしずおかはまことに奥が深い。
きょうのおまけは、ふるさとしずおかの春の風物詩 由比の桜エビ。
良い写真が無かったので、由比港のシンボル 桜エビのモニュメント。
桜エビ漁は春と秋の年2回。
駿河湾の桜エビは、甘み、旨みに秀でて、生でも釜揚げでもかき揚げでもよし。
美しい桃色の桜エビをみると、ふるさとしずおかに生まれ育ってよかったなぁと思うのです。