月別アーカイブ: 2014年10月

弥生人、のココロ。

もう30年くらい前の話ですが、大学生の頃、ガールフレンドのレポートを代筆したことがありました。
テーマは『日本人はどこから来たか』。
深いですなぁ。
どんなふうに話を展開したのかは忘れましたが、どうも、私たちのご先祖様は、北方や南方から、実に多岐にわたるルートでこの島国に渡来したようです。
IMG_2192私たちの世代が学校で学んだ歴史によれば、稲作文化をたずさえたいわゆる弥生人は、大陸から半島を経由して九州に上陸し、土着の縄文人を南と東に追いやりながら東進したのだそうです。
つまり、ご先祖様には半島の血も交じっていたということですが、最近の研究では、実はそうではないことが分かったのだそうです。
古墳文化や遺伝子を調べると、半島には当時の日本人が逆上陸したのだと。
なんでも、『倭国』というのは、かつては九州の北部と半島の南部にまたがっていたのだそうで、古代の半島に存在した伽耶とか任那というのは倭人の国だというのです。
まぁ、それはともかく、弥生時代は水稲耕作の伝来で幕を開けました。諸説あるもののその始まりは紀元前5世紀。その後、この時代は紀元3世紀ごろまで、約800年にわたって続いたということです。
IMG_2193ふるさとしずおかで弥生時代とくれば、真っ先に思い浮かぶのは『登呂遺跡』。
訪れたのは、実に40年ぶりのことです。
弥生時代後期の水田、集落の遺跡である同公園は、現在は静岡市によって管理される公園です。
同園は、地元の人々の憩いの場としても利用されています。
園内には、竪穴式住居や高床式倉庫が再現され、併設の博物館では貫頭衣を着て火おこしも体験できます。
建築物や衣服、生活のための土器やその他の調度など、機械もない時代に、彼らはよくぞこんな文化的な生活を営んだと感心します。何千年もの間、脈々と続く人の営みを思うと、なんだか日頃のちっぽけなことで悩むことがばかばかしく思えたりします。
IMG_2195ちょうど良い気分転換になりました。
いいところですねぇ。ふるさとしずおかは。
ちょっと足をのばせばすぐにこんないいところがある。

で、登呂遺跡といえば、やまだいちの餅の家。76年に建ったそうです。
おススメは『からみ餅』。
これもまた美味。

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エンバーソン師、のココロ。

IMG_2132 コロニアル様式というのは、一般的には幕末から明治期にかけて外国人の設計した西洋建築を表す言葉ですが、具体的には、その中でも白い壁やベランダがある建物をそう呼びます。
先に話題にしたマッケンジー邸もそうですが、ふるさとしずおかには、もうひとつ有名なコロニアル様式の住宅が現存します。

明治にキリスト教の伝道のためにカナダから来静したロバート・エンバーソン牧師が暮らした旧エンバーソン邸。
きょうは、その旧エンバーソン邸のお話を。

IMG_21361904年にふるさとしずおかは西草深に立てられた旧エンバーソン邸は、現在は移築され、日本平中腹の静かな木立の中にひっそりと建っています。
西草深時代には、寄宿舎やテニスコートなどが併設されていたそうですが、今は、母屋のみが当時の姿をとどめています。
牧師の暮らす家ということもあって、先に挙げたマッケンジー邸と比べると華美さはありませんが、バルコニーのアーチや二階のサンルーム、日本様式を取り入れた欄間などにセンスの良さを感じます。
昭和の宰相 中曽根康弘氏は、旧静岡高校時代の昭和初期、このマッケンジー邸のゲストルームで暮らした時期があったとか。

秋が深まりつつあるこの季節は、天気さえよければサンルームやベランダのベンチで日がな読書にふけるのも贅沢な過ごし方です。
アプローチには、ドングリが落ち、ベランダから見える木々もほのかに色づき始めていいました。

ロバート・エンバーソンは、邸の完成後の1905年、ふるさとしずおかに出征軍人遺家族幼児保管所を開設します。
前年に行われた日露戦役の遼陽会戦に郷土の歩兵連隊が参戦し、多くの戦災孤児が生まれたからです。
これが、現在葵区の井宮町にある児童養護施設 静岡ホームの前身となりました。
この美しい洋館の向こう側には、そんな歴史も刻まれているのです。

IMG_2061ところで、この旧エンバーソン邸では、同邸をもっとたくさんの皆さんに知ってもらいたいと、積極的に広報をしています。
何かに利用してみたいとお考えの方は、一度相談してみてはいかがでしょう。

きょうのおまけは、同邸の北にある『金とき』の特テキライス300g。
大満足の一品です。
最近は、赤身の方が好きだなぁ。

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