月別アーカイブ: 2016年5月

ゼロ戦と焼きハマグリ、のココロ。

15年秋、Facebookを眺めていると、あるニュースが飛び込んできました。
『ゼロ戦里帰りプロジェクト』。

IMG_3894ニュージーランドでフライトジャケットメーカーを経営する石塚氏が、故あって所有することになったゼロ戦22型を日本の空に里帰りさせようというものです。
私財をつぎ込んだ壮大な事業です。彼の情熱と強い思いに圧倒されました。

このゼロ戦という飛行機は、大東亜戦争初期に当時の日本海軍が主に航空母艦に艦載し、制空権を確保することを目的に運用したもので、その長大な航続距離と優れた旋回能力、鋭い上昇力や強力な火力などで、戦争初期には世界でも最も優れた戦闘機と評されました。
1940年、海軍の慣例にのっとり、正式採用された皇紀2600年の末尾の『0』を取って『零式艦上戦闘機』と命名されました。

IMG_3903で、あるんです。このゼロ戦。
ふるさとしずおかにも。
航空自衛隊浜松基地。
基地の南端にあるエアパークと呼ばれる広報館の格納庫に、静かに翼を休めています。
浜松基地のゼロ戦は、最も多く生産された大戦後期の52型。改良によって僅かに出力が増したエンジンと、旋回性能よりも速力を重視して短く切り詰められた翼が特徴です。

IMG_3902ゼロ戦の生産機数は1万と430機。そのほとんどが先の大戦と米軍の進駐で失われました。
しかし、欧米を中心に、今も世界におよそ30機が現存します。
欧米では、時代を象徴する優れた工業製品として人々の記憶に残るゼロ戦も、生産国である日本では、先の大戦を象徴するものとして忌み疎まれています。
先に紹介した石塚氏のゼロ戦も、日本で飛ばすまでには相当の苦労があったと聞きます。
しかし私は、歴史を正しく理解するアイコンとして、こういう遺産は大切に後世に伝えることが必要だと思うのです。

IMG_3890きょうのおまけは、浜名湖 太助のアサリの酒蒸し。
小ぶりですが、かみしめるほどに旨みが溢れ出る浜名湖ならではのグルメです。
貝好きにはたまりません。
しかし、今年の浜名湖の潮干狩りは、アサリの稚貝がクロダイにやられて大打撃とか…。
ところで。品書きにはなぜかクルマエビの料理がずらり。
浜名湖ってクルマエビも名物なんですねぇ。

 

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新緑の足久保でフラダンス、のココロ。

中高生のころ、歴史の授業で習った仏教のこと。
非常に難解で、とうとうきちんと覚えることができませんでした。
手塚治虫の「ブッダ」も読んだんですけどねぇ。

IMG_3850 仏教には、平安時代の空海、最澄は言うに及びませんが、鎌倉時代にも偉人が多い。
浄土宗を開いた法然上人、その弟子で浄土真宗の開祖となった親鸞、さらに、日蓮宗の日蓮など。
飛鳥時代に日本に伝来した仏教は、奈良時代に徐々に定着し、平安時代から鎌倉時代にかけて土着の民間信仰などと融合して庶民の間にも本格的に広まったといいます。
ふるさとしずおかにもさまざまな宗派が根ざし、多くの寺院が人々の信仰を集めています。
きょうのお話は、そんなお寺のうちのひとつについて。

IMG_3840美和の奥地、静岡茶の発祥といわれる足久保の地に、京都 知恩院の末寺 浄土宗の新光明寺がひっそりと建ちます。
寺に伝わるところによると、建立は鎌倉時代とも室町時代ともいわれるようです。
長く伝馬町にありましたが、先の大戦の戦火に焼かれ、再建時にこの足久保の地に移転しました。

5月の若く鮮やかな緑に囲まれた境内は実に美しい。
市街地から車で僅か20分余りのところに、こんなによいとろがあるのもふるさとしずおかの特徴です。
毎年の大型連休には、境内のかさもり稲荷の大祭と称して、地域住民のためにお寺と氏子の皆さんが力を合わせて祭りを催します。
IMG_3849市内の高校や有志団体を招き、コーラスやフラダンス、和太鼓などの実演も楽しめます。
これがまたいい雰囲気なんですね。
フリーマーケットや手作りパンの店、おでんに焼き鳥、フランクフルト。
これ、全部、お寺と氏子の皆さんが運営してます。
ビールにいたっては一本200円。
手作り感満載のあたたかい、ほんとうにあたたかい地域のお祭りです。
大型連休の最終日、よいお祭りに巡り合いました。

IMG_3857きょうのおまけは、足久保に向かう美和街道の京丹波の焼き栗。
どうして安部口新田で京丹波なのかを問うのは無粋です。
谷岡さんの天津甘栗もうまいけど、味わいと食べ応え、ホクホク感はこっちが上。
ここね、懐かしいポン菓子もやってます。

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早雲と根古屋の城、のココロ。

ふるさとしずおかでは、サクラが散ったと思ったら、矢継ぎ早にツツジやフジが花を咲かせ盛春を彩っています。
こういう気分もなかなかいいもので、なんとなく平らな世の中に浸っているような気がします。
さて、きょうもふるさとしずおかのよしなしごとを。

IMG_3744駿河の国の東のはずれ、沼津は根古屋に、いにしえの城郭がその姿を少しづつ蘇らせています。
伊勢新九郎、のちの北条早雲が初めて手に入れた城、興国寺城です。

北条早雲といえば、一介の浪人から身を起こし、相模を手中に治めるまでの大名となったといわれますが、その出発点がふるさとしずおかにあったことはあまり知られていません。
のちに後北条氏家中の御由緒家といわれる6人の仲間とともに神水を酌み交わし、このうちの一人が大名になったら他の者はその家臣になろうと誓いあったという話は有名です。
しかし、この早雲。実は、最近の研究で、室町幕府の要職を務める伊勢氏の支流に当たることがわかったそうで、父は江戸時代でいう将軍の御取次衆ともいうべき申次衆を務めたとか。決して身分の低い浪人あがりというわけではなかったんですね。

IMG_3737 早雲は、1470年代の後半、幕府の命を受け、駿河の守護 今川氏の家督相続をめぐる諍いを仲裁します。30代半ばのことでした。
それにより手にしたのが前述の興国寺城。
後年、これを足掛かりにして伊豆の国を手に入れ韮山城に移り、さらに相模の国も手中に収め本拠を小田原に定めます。
戦国 後北条氏の誕生です。

IMG_1314再建され公園となり、模造天主も建つ小田原城も見事ですが、長い間打ち捨てられたことで草木に囲まれ、ただの丘にしか見えないようなこの平山城の跡には、時を超えた何かを感じます。
旧東海道の原宿から2kmほど北の小高い丘に建てられた城は、当時、北を除く三方が蓮池と呼ばれる沼地に囲まれ、残る北側は険しい空掘という、文字通り難攻不落の要害であったといいます。
天主台から南を見おろすと、駿河湾まで一望できる、まさに戦時下の砦として極めて優れた城であったことがわかります。

IMG_0753城跡のある根方街道は市民の生活道路です。
しかし、そんなところにも先人の残した遺産が隠れているんですねぇ。
ふるさとしずおかはなかなか奥が深い。

きょうのおまけは、三島は緑町のうなよし。
もう何年も通っていますが、何度食べても絶品。
一気に掻き込んで食べるとまたよし。
熱々の肝吸いもさらによし。

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