月別アーカイブ: 2015年7月

越すに越されぬ大井川、のココロ。

えー、きょうもふるさとしずおかはいいところだねぇって話をひとつ。

東海道という街道は、五街道に数えられる他の街道と比べても、非常に豊かな恵まれた街道だと言えます。
IMG_2787しかし、その反面 通行の障害が少ないために、江戸期以前は人為的に都市部、特に駿河や江戸などの天領を守るために流入するヒト、モノ、カネを制限する必要がありました。
以前に話題にした各地の関所などもそうですが、ここふるさとしずおかにも天然の要害となった『越すに越せない』大河があります。
ということで、きょうは大井川の川越しのお話。

『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』。

IMG_2792古くから箱根に伝わる馬喰節ですが、近代にいたるまで、ふるさとしずおかの大井川はまさに『越すに越されぬ』大変な難所だったのです。
その理由は何か。
なんと、橋が無い。しかも、架橋のみならず渡し船も禁止されていたのです。
もちろん、治水技術の問題もあったのでしょうが、天領である駿府を西国の勢力から守るために、ヒトやモノの往来を制限することが目的でした。
そこで、旅人のために川越し人足が登場します。
屈強な川越し人足は、旅人を肩車したり、連台に乗せて対岸まで運んでくれますが、料金はその日の川幅や水深で変動しました。

IMG_2793川札1枚の金額は水深によって変わります。残されている資料によれば、水深が股通しで48文、帯上68文、乳通し78文、脇通し94文とあります。
旅人は、川会所で住所、氏名などを告げ川札と呼ばれる切符を買うわけですが、川札1枚で川越し人足がひとり雇えます。連台の場合は、川札は2枚。それに担ぎ手4人で合計6枚の川札が必要でした。
つまり、1文30円換算で、肩車で渡るには1,500円~3,000円、連台で渡るには安くても9,000円もかかったんですね。
そう考えると、参勤交代の大名行列なんかは一体どうやって渡ったんでしょう…。
考えただけでも恐ろしい。

島田市 川越し街道には、旧東海道筋の大井川東岸300mほどが再整備され、往時を偲ばせるいにしえの街道の風景を見ることができます。
いわゆる切符売り場だった川会所、人足の詰所だった番所、草鞋や笠の売店の荷縄所などが再現され、賑わった江戸期を偲ばせます。
ふるさとしずおかには、こういういいところがあるんですねぇ。

IMG_2843で、きょうのおまけはふるさとしずおかは葵区平和の『蕎麦処 こなや』
ここの蕎麦、旨いですよ。コシがあって香りもいい。つゆは辛くもなく甘くもなく。
天丼も丁寧です。
ふるさとしずおかは旨い蕎麦屋が多いなぁ。

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ホランさんと相良 大鐘氏、のココロ。

えー、きょうは、遠州は相良について。
いつも通りですが、やはりきょうもふるさとしずおかっていいなぁというお話。

IMG_2839相良といえば静波海岸。
実に懐かしい。私たちの若い頃は、夏はここで海水浴と決まっていましたからねぇ。
でも、残念ながら相良という町はそれ以外はあまり印象に残らないところでした。数年前には、市町村合併で牧之原市に統合されて、相良という町名も消えてしまったのです。

しかし、この相良。あらためて考えるととても良いところです。
温暖な気候で、遠浅の海は自然の恵みをもたらしてくれます。古来、相良産の塩は、この地を起点にした塩の道を通り、遠く塩尻の町まで運ばれたといいます。

江戸時代には相良藩が置かれ、藩主 田沼意次は中央の幕政にもその名を残します。
その意次は、藤枝宿と自身の居城 相良城を結ぶ田沼街道を整備しましたが、相良城を目前にしたこの古い街道沿いに、きょうのテーマ 大庄屋 大鐘家の屋敷が今も残っています。
IMG_2770大鐘氏は、元々は尾張名古屋の出自。織田家家老 柴田勝家の家臣だったそうです。24代目宗家の弟君の正典さんによれば、福井丸岡城の家老であった8代 藤八郎貞綱は、豊臣、山内と主君を変えこの相良の地に具足を脱ぎ、その後、18世紀に刀を捨て大庄屋となったのだそうです。
往時の盛隆を今に伝える長屋門と母屋は重要文化財指定。
小堀遠州の作庭による中庭をはじめ、所蔵の谷文晁、渡辺崋山の掛け軸など、この自然の恵み豊かな相良の地が、かつては遠州でも重要な地であったことを偲ばせます。

IMG_28361万坪といわれる敷地内では四季折々の花々を楽しめますが、この時期は、35種約1万本といわれるアジサイが見ごろを迎えます。
まさに、見どころ満載。
ちょうど当日は、タレントのホラン千秋さんが、BS放送の旅行番組の取材で同家を訪れていました。

しかし、これだけの歴史遺産を管理維持するのは並大抵のことではありません。
同地の繁栄を記憶する貴重な文化遺産は、将来の再興の象徴ともなる大切な史跡です。
どうか、地域ぐるみの支援で、この地が相良復興のシンボルとして長く愛されますよう。

そうそう、この大鐘家にはいくつかの名物土産があります。
その代表は『百葉茶』。
ダイエットに効果があるそうで。それに飲みやすい。一袋700円。通販でも買えます。
しかし、飲みすぎに注意。痩せすぎてしまうそうです。

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藤枝 田中城、のココロ。

ザーバーで不具合がおきてしばらく無沙汰をいたしましたが、D社のMさんのおかげでようやく復旧が叶いました。
残念なことに過去のlogの多くが消えてしまいましたが、気を取り直して再スタートします。
続・ふるさとしずおかのココロ。のはじまりはじまり。

 

IMG_2750さて、きょうは、ふるさとしずおかは藤枝 田中城のおはなし。
就職したての頃、当時はナビなんてものはありませんから、初めての客先訪問はもっぱらゼンリン地図がたよりです。
藤枝市域南部のページをめくると、田んぼの中になぜか大きな同心円がいくつか。
そう、これが田中城の跡地、同心円は四重にも及ぶ直径およそ600mの堀の遺構だったのです。

 

明治の廃城から約150年。田中城は、それまでの約500年間、同地の鎮守の要であったといいます。
城の跡地は学校や宅地、または農地として活かされ、今やその面影はありませんが、戦国の世には、今川、武田、徳川とその主を替え、江戸の世になり田中藩が置かれると、歴代の藩主のうち多くが幕政に名を連ねるような出世をしたと伝えられています。
藤枝に城なんてあったの?地元の人がこういうほど地味な存在ですが、往時の田中城が浜松城、掛川城と並び三大出世城といわれたのにはそんなわけがあったのだそうです。
そうそう。それに、ここは家康公の死去と深~い関わりがあるんですねぇ。

IMG_2754 平成になると、四重の外曲輪の南東にあった城主の下屋敷が一部再現され、『史跡 田中城下屋敷』として、観光スポットや近隣の人々の憩いの場として生まれ変わりました。
敷地には庭園が再現され、春にはアヤメやカキツバタ、初夏にはアジサイなど、それはそれは美しい花を咲かせます。
また、城の本丸櫓が移築整備され、在りし日の田中城下を偲ばせます。

1570年、武田氏がこの城を落とすと、武田四天王に名を連ねる名将 山県昌景は200騎で在番したそうです。
昌景麾下の侍大将だった我がご先祖様も、もしかしたらこの地に具足を脱いだのかもしれません。

しかし、ここ入場無料なんですねぇ。
見事な茶室も本丸櫓も観覧するだけです。
庭園や建築物を維持するには結構な費用がかかりそうです。
行政の予算には限りがあるのが見て取れます。
もっと来場客を増やして、自力で稼げないもんですかねぇ。

ねぇ、藤枝市民の皆さん。
知恵と汗を絞ってなんとかしませんか。
本当によいところなんですから。

あとね、ボランティアガイドのお二人が素晴らしい。
まさに、郷土史の生き字引。
こういう方々が元気なうちに先々の見通しを立てたいですねぇ。

IMG_2783 で、きょうのオマケは焼津は大住 十割蕎麦の『楽食庵』。
なんと、機械打ち。
手打ちじゃないなどと侮るなかれ。
老舗日本料理で磨かれた大将の確かな腕が、見事な機械打ちの十割蕎麦と出会い、瑞々しくも深い味わいの蕎麦を生み出しました。
今、一押しの蕎麦屋です。
見かけは掘っ立て小屋だけど。

 

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