伊豆山中で忠臣蔵を思う、のココロ。

時は移り変わっても、日本人の心の風景の一つともいえる『忠臣蔵』。
江戸の昔から、この赤穂事件を題材にした『忠臣蔵』は、浄瑠璃や歌舞伎を通して広く深く人々の心を捉えて離しません。
物語で語られる討ち入りは、静かに雪が降る夜でした。
内蔵助良雄に率いられた総勢四十七人の赤穂の浪士は、見事本懐を遂げ、隊列を組み泉岳寺に引き上げます。
その日 元禄15年12月14日は、現在の暦では1月30日にあたるのだそうです。

IMG_3483えー、きょうもふるさとしずおかに関するよしなしごとを。
『忠臣蔵』というと、ちょっとふるさとしずおかには縁のないもののような気がしますが、実は、意外なところにその名残がありました。
西伊豆は一色 慈眼寺。
堂ヶ島の美しい海岸を右手に国道136号線を南下し、西伊豆町浜橋交差点を仁科川に沿って東に進みます。
四十七士の唯一の生き残り寺坂吉右衛門信行の墓と伝えられる地蔵は、この小さな山間の寺にひっそりと祀られています。
吉右衛門は、主家である浅野家の直臣でしたが、士分ではなく足軽だったといいます。
史実の赤穂事件はいまだに謎が多く、全容が明らかになっていませんが、この寺坂吉右衛門なる浪士は、吉良邸討ち入りのち行方をくらませます。
上野介の首級を掲げ泉岳寺へ向かう隊列には、すでにその姿は無かったといいます。
何故か?
このことも、300年以上たった今も謎のままです。

IMG_3443一説によると、吉右衛門は内蔵助の密命を受け、残された家中の者の救済に余生を捧げたといいます。
武士の世は本懐を遂げたら潔く腹を切るのが習いですが、内蔵助の命は、武士として生きた者には死を選ぶよりも過酷なものでした。
卑怯者と誹りを受けながらも、助けを必要とする誰かのために生き続けるのです。

その説に基づいた映画があります。
『最後の忠臣蔵』。
IMG_3482佐藤浩市が吉右衛門を演じ、内蔵助より更なる密命を受け逐電した藩士 瀬尾孫左衛門を役所広司が演じました。
もっと自由に幸せを求める生き方はできなかったのかと、やりきれない思いを抱く一方で、誰かのために命を賭して生きる清廉さを感じます。
もしかすると、武士という身分は決して特権階級ではなく、むしろ、がんじがらめの非常に生きるのが難しい人々だったのかもしれませんな。
平成人には、あのような生き方はできますまい。
吉右衛門の墓と伝わる地蔵に手を合わせ、そんなことを思いました。

IMG_3481ちなみに、西伊豆にはもう一つ慈眼寺という名の寺があります。
こちらは、宇久津の海辺近く。
どうか、お間違いの無いよう。

きょうのおまけは、西伊豆田子地区名産の塩鰹を使った『しおかつおせんべい』。
やめられないとまらないの美味さです。

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栄枯盛衰、盛者必衰、のココロ。

『祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす』
習いましたなぁ。若い頃。
なかなか暗記できませんでした。
ご承知のように、これはかの平家物語の冒頭の一文。 おごれる平氏も久しからずや、盛えたものは必ず衰える、思い上がったものは長くは続かない。人の世は栄え衰えることの繰り返しであると、世の習いを説いています。

IMG_3421清盛によって栄華を極めた平氏でしたが、その運命は、清盛の死後、源氏の台頭によって長門の国 壇ノ浦の波間に消え行くことになります。
ところでこの平氏という一門。元を辿るとやんごとなき血筋の一族なんですね。
いくつかの系統がありますが、もっとも有名なのは桓武平氏。 時は9世紀。第50代天皇 桓武天皇の第三皇子 葛原親王(かずわらしんのう)が子女の臣籍降下を願い出てこれを許され、親王の三人の皇子は平の姓を賜りそれぞれ皇族の身分を離れ下野します。
これが桓武平氏の始まりです。
皇子のうち末子の高望王は平高望を名乗りましたが、これが桓武平氏 高望流の始まりで、この系統から、後の日本史に名を残す多くの人物が排出されます。
高望は、現在の千葉にあたる上総を治める役に就き、子の国香らを連れ任地に下向します。 そして、その地で後に坂東平氏と呼ばれることになる武士団を形成しました。
IMG_3420このうちから、『新皇』を名乗る男が現れます。
そう、平将門です。
将門公は、高望王の孫。つまり、桓武天皇に連なる家系だったんですね。
将門公が関東王権に託した夢は儚く散りますが、その100年後に清盛が権勢を極めたのは周知のことです。
皇統に刃を向けはしたものの、大河ドラマ「風と雲と虹と」で描かれた加藤剛演じる将門公は、正義と情けを持った立派な武将でした。

IMG_3419ところでこの平氏。
落人が隠れ住んだといわれる「隠れ里」が全国に点在します。 なんと、わがふるさとしずおかにも。
伝承では、「平」がつく地名に多いんですね。なるほど納得。 そういわれるうちの多くが、平成の今も人里離れた当時の風情を残し往時をしのばせます。
まさに栄枯盛衰。しかし、人はなんとしぶとく強いものか。

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駿河の国 一宮、のココロ。

みなさま、あけましておめでとうございます。

いつも、ふるさとしずおかで暮らすココロ。にお付き合いいただき、まことにありがとうございます。
拙い徒然話ではございますが、どうぞ本年もご贔屓に。

IMG_3413さて、さっそく本年もふるさとしずおかのよしなしごとを。
えー、お正月と聞いてまず思いつくのは初詣。
文字通り、年が明けて初めて寺社を詣でることですが、どこでもよいとうわけではなく、一般的にはご近所の氏神様や恵方の寺社を参拝します。
例えば、私の住む町では、第12代の景行天皇をお祀りした青木神社が氏神にあたりますが、ここ数年の我が家では、この青木神社やおせんげんさんに加え、富士山本宮浅間大社や三島大社、あるいは小國神社を詣でるのが恒例です。

 

IMG_3415飛鳥時代と呼ばれる天皇を中心にした中央集権国家の形成期、我が国では大陸国家に倣い律令制が執られ、それに伴って、全国が律令国と呼ばれるおよそ70もの国に分けられました。
例の、出羽の国とか越後の国とかいうやつですな。
この律令国による地理上の区分は、その後、1500年もの長きにわたって公用のものとされ、平成の今も頻繁に使われています。
当時のふるさとしずおかには、律令国が三つ。
駿河国、遠江国、そして伊豆国。
今の、中部、西部、東部の区分と似てますねぇ。
そして、そのそれぞれに一宮と呼ばれる、地域で最も格式の高い神社が建立されました。
前述の浅間大社、小國神社、三島大社は、それぞれ駿河、遠江、伊豆の一宮。
どうりで、その境内も社も荘厳な感じがします。

IMG_3417そんな古の国の成り立ちを思いながらの参拝は、心なしか身も引き締まります。
私は、今年は駿河の国の一宮 富士山本宮浅間大社に詣でました。
そのあとは、神社向かいのお宮横丁。
お勧めは、やっぱり富士宮焼きそば学会直営店。
モッチリ麺と出汁の味がよく合います。
あとね、横丁の奥にあるお店の紅鱒の漬け丼が旨いんですよ。
紅鱒のいい香りと、プリプリっとした食感とねっとりした感じが上手く調和していて。
本当に旨い。
残念ながらお店の名前忘れたけど。

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古の県庁に登庁、のココロ。

大雪も過ぎて、暖かいふるさとしずおかもすっかり寒くなりました。
世間はクリスマスをひかえて忘年会ラッシュですな。

えー、そんな浮かれ気分を横目に、きょうもふるさとしずおかのよしなしごとを。
江戸の昔、我が国はいくつもの「藩」と呼ばれる一種の「国」に分かれていました。
改易、廃藩などでその数は時代によって異なりますが、その総数およそ300。
知行地の石高 1万石以上を大名というそうですから、江戸期には300以上の大名家があったということです。
これはもう大変な数です。
ちなみに、この「石」という単位はコメの生産高を表していて(1石は150㎏、ちなみに、勢力にして1万石=235人なのだそうです)、藩の規模は1万石から100万石。当時の日本の総石高は3,000万石だったといいます(3,000万石は450万t。ある調査によると、2013年の国内の米の生産高は、1,100万t。実に3倍近く!)。

IMG_3324 ところで、この藩。
薩摩藩、長州藩などの名はよく耳にしますが、ふるさとしずおかに「駿河藩」は存在したのでしょうか?
実は、江戸期を通じて、初期の一時期を除き、ふるさとしずおかの中心部 駿府には藩はおかれず、天領、つまり幕府直轄の時代が明治まで続きました。
地理的に西国の勢力から江戸を守る要所に位置したことや、家康をはじめ徳川の宗家に連なる血と関りが濃かったことが理由ですが、それでも、その天領に隣接する地域には小さいながらもいくつかの藩が存在していました。

駿府をぐるりと包み込むように、東は小島藩、沼津藩、西は田中藩、相良藩、さらに横須賀、掛川、浜松と、実に7つもの藩があったといいます。
そこで、きょうはそのうちのひとつ「小島(おじま)藩」についてのお話し。

IMG_3329国道1号線バイパスを興津から国道52号線に入り、山梨県に向けて5㎞ほど北上すると、街道筋に「小島陣屋」の案内板が見えてきます。
当時、幕府の定めた軍役令では、城を持つことが許されるのは2万石以上の大名で、1万石の小島藩は城を持つことができませんでした。
そこで藩は、「陣屋」と呼ばれる行政庁をこの小島地区に整備しこれを本拠とします。
とはいえ、1万石といえば1,500tのコメを生産するわけですから、その支配の及ぶ範囲は、現在の静岡市域のうち、西は安倍川以東の中心地を囲む地域、北は平山、南は中島、東は清水区に及ぶ広大なものでした。
陣屋跡も、立派な石垣が組まれ、戦に備えた枡形虎口の跡も見られます。天守や堀があれば立派な平山城といえるような造りです。

陣屋跡から眼下を眺めると、山間の村落は東に流れる興津川に向かってなだらかに下ります。
ここが、古の県庁かと思うと、200年のうちに世の中は随分と変わったんだなぁと思います。

IMG_3356そして、きょうのおまけは、国道52号線沿いのスイート遠藤のどら焼き。
創業40余年の老舗和菓子店です。
このどら焼きね、まことに美味しゅうございます。イチゴクリームや抹茶味など全5種類。
甘さ控えめでどれもよし。
しかも、ひとつ140円。
同店訪問は30年越しの願いでした。
遠藤さんといっても親戚じゃないけど。

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伊豆はいいね、のココロ。

少し前の新聞。
ふるさとしずおかを訪れる観光客が過去最高を記録したとか。
ありがたいことです。

IMG_3072詳しく見ると、県の発表では、2014年度の来静観光客は、速報値で1億4,793万人。過去最高で、前年対比2%の増加だということです。
人数にして300万人増。
で、我がふるさとしずおかにお越しくださったお客様が、一体どの辺りに多くいらしたかというと、目立つのが伊豆です。
北部伊豆で6.4%増、南部伊豆でも2.7%増。
残念なのは、中部駿河地域が-5.1%と、大きく全体の足を引っ張ってしまっていることですが、県によれば、これは大道芸などのメインイベントの時期に悪天候が重なったからだということです。

まぁ、しかし。
たくさんのお客様がふるさとしずおかにきてくださることは、ほんとうにありがたいことです。
これが、交通の便がよくなったからなどという理由だけでなく、県民の計画に従った狙い通りの主客力向上によるものだったらなおいいですね。

ところで、やはり伊豆はふるさとしずおかの観光分野でではクリーンナップを任せられる実力者で、私などは以前から四番バッターにふさわしいと思っているのでありますが、東西南北の各地域でそれぞれ持ち味が違っていて、ストライクゾーンのどこでも本塁打の打てる、死角の無い強打者のようです。
温泉地や海水浴場だって、挙げだしたら暇がない。

そんな伊豆ですが、残念なことに、一方ではあまりぱっとしない観光地もあります。
きょうも、ふるさとしずおかはいいところだねぇって話ですが、話題にするのはそんなぱっとしない観光地。
でも、実はそれがとってもいいところだよってお話です。

IMG_3074伊豆半島の南西部。賀茂郡は松崎町。
もちろん、他の伊豆の町と同じく良い温泉場や海水浴場もあります。
桜餅に使われる塩漬けの桜の葉っぱは、なんと全国一の生産量。
しかし、松崎といえば入江長八。漆喰の芸術家 伊豆の長八のなまこ壁とこて絵に尽きます。
長八は、江戸末期から明治初期の左官職人です。
貧農に生まれましたが、左官と日本画、彫刻を学び、その優れた手腕を多くの作品として残しました。
菩提寺の浄感寺では、まるで命が吹き込まれているかのようなこて絵の天女や八方睨みの竜が見られます。
また、松崎港に流れる那賀川沿いを行けば、なまこ壁の家並みや旧商家を見ることができます。
海からの風に吹かれて歩くと、まるで江戸時代の港町にタイムスリップしたようです。
IMG_3130特に、菩提寺の浄感寺の長八記念館と、なまこ壁の呉服商 中瀬家はおススメです。
今ならまだ空いてるしね。

で、きょうのおまけは戸田のタカアシガニ。
なかなかのハクリョクです。
ボリュームがあるのでミソと身のとも和えは食べごたえあり。
味はケガニやズワイが上かなぁ。
しかし、身離れが良くて食べ易し。それは〇。
これも、伊豆の名物なり。

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駿府の蕎麦はなぜウマい、のココロ。

蕎麦というのは、もともとは米が育たないやせた土地でも実が実ると古くから栽培されていたそうですが、長い間、蕎麦がきのように練って塊状のものを食べていたといいます。今のような蕎麦切りで食べるようになったのは戦国末期から江戸初期にかけて。
以来、400余年。全国各地で様々なご当地蕎麦が育まれました。

IMG_2080 蕎麦と聞いて最初に浮かぶのはやはり『せいろ』。
私は、二っ八よりもコシと香りの強い十割がよい。
少し辛めのツユにちょいとつけて、あとは勢いでズズっと一気にいく。
しっかりとした歯ごたえと、鼻から抜ける香ばしい匂い。
幸せを感じます。
つゆに香る鰹だしの匂いもまたしかり。
寒くなれば、温かい『天南』、『玉子そば』、『にしんそば』もいいですね。

ところで、以前 本blogでも触れましたが、江戸には及ばないもののふるさとしずおかにはうまい蕎麦屋が意外に多い。
本格派のこなや、黒麦、まえ田、きしがみ、KURITAなど。
ややカジュアルですが、人気店の八兵衛、そば半、戸隠、つむらやもよし。
老舗といえば『河内庵』、『安田屋本店』。

IMG_0500ある調査によると、静岡県の蕎麦店は877軒で全国第9位。人口10万人当たりの店舗数は約24軒で全国第12位。これだけみると、それほど蕎麦に親しんでいる雰囲気は感じません。
しかし、歴史を紐解くと、ふるさとしずおかの蕎麦がなぜうまいのかがいっぺんに納得できる二大事件が見つかります。
1605年~16年の家康公の大御所政治時代と1869年~91年のケイキさん来静。
このとき、ふるさとしずおかには、この徳川宗家のビッグネームとともに江戸から優秀な蕎麦職人がたくさんやってきたのです。
FullSizeRender1江戸の人口が15万といわれた大御所政治の時代、なんと駿府の人口は10万とも12万ともいわれ、京大坂に次ぐ日本でも有数の大都市だったそうです。
賑わいのある城下町に江戸蕎麦が根付き、それが400年の間に受け継がれ、今日のものになったんですね。

 

しかし、ふるさとしずおかの蕎麦つゆ。江戸蕎麦と比べてかえしがやや甘め。
これが特徴なんでしょうなぁ。

というわけで、きょうは、ふるさとしずおかの蕎麦はうまいというお話でした。
やっぱり、ふるさとしずおかはいいところだねぇ。

【写真】上から裾野『蕎仙坊』せいろ、
葵区伝馬町 『KURITA』 天ぷら、
葵区平和 『こなや』 玉子とじ

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紅葉狩りは修善寺へどうぞ、のココロ。

すっかり涼しくなりましたな。
季節の移ろいはまことに早い。
気が付けば山々は赤や黄色に色づいて紅葉狩りの季節がおとずれました。
というわけで、きょうも、ふるさとしずおかのよしなしごとを。

IMG_2330紅葉狩りといえば、ふるさとしずおかにもいくつもの名所があります。
西では遠州一之宮の小國神社、中部では寸又峡、梅ヶ島。
そして、東部では天城峠や河津七滝などなど。
異論を承知で挙げれば、富士五湖の紅葉も見事です。

そして修善寺。
修善寺というと、まず思い浮かぶのが温泉。
そう、伊豆で最も歴史がある温泉。全国名湯百選にも選ばれています。
美しい桂川が流れる、小さな風情のある温泉街です。

IMG_2313この修善寺。地名として有名ですが、もともとは同地に立つ禅寺の名前。
802年、弘法大師によって建立された曹洞宗の古刹 修善寺です。
土地柄、北条氏とゆかりの深いこの寺は、鎌倉時代には時の為政者やその縁者の幽閉先として、度々表舞台に登場します。結構ダークな歴史があるのです。将軍暗殺とかね。

IMG_2327晩秋から冬にかけての修善寺はまことに美しい。
静かな竹林と紅葉に囲まれ、桂川の流れに耳を澄ませば、日頃の憂いが晴れるようです。
古刹 修善寺には、非公開の美しい庭園があります。大正天皇が東宮でいらした時に東海一の名園とお墨付きをいただいた、それはそれは美しい中庭。
大切な誰かと肩を並べて歩けばまた格別です。

IMG_2329きょうのおまけは、修善寺の蕎麦の名店 朴念仁。
旨いけどちと高い。これなんと2,200円。
おむかいの500円のワンコイン蕎麦 さくだ のテントも負けず劣らず大盛況でした。

 

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三島の湧泉と江戸かわりそば、のココロ。

我がご先祖様が徳川四天王の井伊直政に召し抱えられたしばらくののち、武田の遺臣はいつの日かのお家再興を誓い、おのおのが自らに使命を課し駿河の各地に散らばります。あるものは水路を確保し、あるものは田畑を耕し、来たるべき日のために力を蓄えておくのです。
かつてお世話になった方に、ふるさとしずおかの宿場町の大庄屋のご当主がいらっしゃいました。
ご先祖は、お家再興のため密命を持って甲州から駿河に下った武田の遺臣。
当時は、筆舌に尽くしがたい苦労があったのでしょう。
しかし、時は流れ世はすでに徳川の治世。お家再興の夢は断たれ、この地で土と共に生きる道を選んだといいます。

IMG_3141戦後の農地解放で多くの地所を失ったものの、街道筋に残る本家は、今も当時の隆盛を偲ばせます。江戸期には参勤交代によってもたらされる東西の珍しい植物が集まり、日本で初めての私設植物園となったのだそうです。 お家再興の夢は散っても、同家は『帯笑園』という名と、ゆくりなく人が出会うサロンとして多くの文化財を後世に残しました。

JR東海道線 三島駅のすぐ南に『楽寿園』と呼ばれる名園があります。
75,000平米ともいわれる広大な庭園は木々に覆われ、市街地からの眺めはまさに『三島の杜』ともいうべき景観ですが、この姿は、明治期の半ばに小松宮彰仁親王の別荘として整えられたものです。
IMG_3142その後、楽寿園は李氏朝鮮の皇太子の所有となり、昭和の初めに、伊豆の造船王 緒明圭造氏の所有を経て、戦後、一部を除いて三島市のものとなりました。
よく三島は水の町といわれますが、それは、この楽寿園に湧く富士の湧水によるものです。
園内にはいくつもの湧泉や清流が見られ、宮の別邸 楽寿館や小浜池などと合わせ、多くの見どころを持っています。

前述の大庄屋のお家は、この楽寿園ともご縁があったのだそうです。
ご当主によれば、楽寿園を分割解体から救った緒明家からお輿入れなさった方がいらしたとか。

ふるさとしずおかにはいいところがたくさんありますねぇ。
そして、それぞれに魅力的なヒストリーがある。
どうですか?そんなことを考えながら、久しぶりに楽寿園を散歩してみては。

FullSizeRenderで、きょうのおまけは、楽寿園南の江戸かわりそば 飯嶋のお蕎麦。
この時期のかわりそばは、シソ切りとレモン切りです。
美味いですよ。
味わいのある田舎そばとお上品なさらしなもおススメです。
江戸というだけあってつまみも豊富ですから、散歩の後にまずは蕎麦前で一杯ってのもオツですな。

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富士市のメーカーで設計者を募集、のココロ。

『オタク』という言葉は、今や完全に市民権を得て立派な公用語ですが、マーケティングの分野から『オタク』を考えると実に興味深い。
これまでは、一般的に『オタク』というと、アニメマニアとかゲームマニアを連想したものですが、広義にはいわゆる『愛好家』と同意語で、古い英国車やイタリア車を愛する私なども、十分その範疇に含まれる人間ということになるようです。
つまり、愛好家はその嗜好の範囲には惜しみなく資金を投入するわけで、その意味でマーケティング上は極めて重要な市場というわけです。

IMG_3152そんな『オタク』市場。
その中心近くにフィギュアのマーケットがあります。
例えば、北斗神拳の伝承者ケンシロウの名を騙り、世紀末の暴力と混乱の世で悪事の限りを尽くした男 ジャギ。
『北斗の拳』の初期の敵役の一人として、マニアの中では有名な男です。
あるいは、正義の超人 キン肉マンの首筋に生涯消えることの無い傷をつけた悪魔超人の首領 悪魔将軍。キン肉マン史上 最強の敵役としてファンに語り継がれる超人です。
IMG_3149フィギュア『オタク』の市場では、このような有名作品に登場するサブキャラクターも一定の人気を獲得しています。
これ一体でそれぞれ数万円の売価なのだそうです。

というわけで、きょうは、そんなフィギュアの世界に斬りこんだ富士市のあるメーカーのお話。久しぶりに、blogでも求人の紹介です。

この会社は、もともとは富士市でも著名な長い業歴を持つ家電製品のOEMメーカーでした。
しかし、近年は大手家電メーカーの下請けを脱し、自らがブランドを持つメーカーとなって、ソラーシステムやLED照明を利用したエクステリア商品を生み出しています。
この主力事業と両輪の輪となっているのが、同社のホビー事業。
IMG_31505年前には、懐かしのタツノコアニメ『マッハGO!GO!GO!』の劇中車を、実車さながらのバックボーンフレームにアルミボディで再現したミニチュアカーを商品化するなど、世界的にもユニークなホビーメーカーとして注目を集めました。
そんな実績が評判を呼んで、最近は、フィギュアやミニチュアカーなどの周辺商品の開発にも取り組んでいます。
例えば、前述のジャギや悪魔将軍のフィギュア。この台座は同社の開発商品です。
この展示台は、金属を巧みに加工し、得意の照明などを付加することで、フィギュア本体に命を吹き込み、そこに物語の世界を再現することに成功したものです。
時には、金属だけでなく石材や木材を用いることも研究しています。

IMG_3151そんな同社では、現在、設計職を募集しています。
一言で設計といっても、同社は少数精鋭ですから、ただ線を引く設計者を求めているわけではありません。
もちろん、設計者として、製品設計や部品設計、時には金型の設計に関わる必要もあります。
しかし、テーマに従った素材の研究や企画、さらに関連法規に関わる調査も大切な役割で、試作や量産以降の加工に関する仕事も欠かせません。
つまり、物づくり全般に関わる企画設計、製品製造全般にわたって活躍してくれる人材を求めているのです。

まぁ、ちょっと幅広くて大変ですけどね。
でも、こんな仕事ができる会社はふるさとしずおかではなかなかお目にかかれません。
今は業績も順風満帆というわけではありませんから、給与も大盤振る舞いというわけにはいきませんが、やりがい重視ということなら非常に面白い求人だと思います。
役割柄、経験者じゃないとちょっと難しいですけどねぇ。
私がきちんとバックアップしますから、興味をお持ちの方はぜひお問い合わせください。

【勤務時間】8:00~16:55
【賃金】月給20万円以上 前職賃金を考慮の上決定
【休日】土日ほか 会社カレンダーによる 年間休日112日
【勤務地】静岡県富士市
【その他】各種保険完備 通勤手当 時間外勤務手当 ほか
【設立】1987年
【事業内容】電機、成型技術を用いた環境電力事業、ホビー事業、輸出入事業など

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川村さんちのトマト、のココロ。

朝夕は過ごしやすくなりましたねぇ。
うっかりすると、すぐにも秋がやってきそうな気配です。

えー、今年の夏はトマトをたくさん食べました。
暑い夏は、スライスして塩をふるだけで十分ごちそうです。
この夏野菜の代表格トマト。最近はまるで果物のように甘いものがあるんですねぇ。
実は、ふるさとしずおかにもありました。
『アイコ』というカワイイ名の美味しいトマト。
ということで、きょうもふるさとしずおかっていいなぁというお話。

突然ですが、三保といえば松原。
古くから日本三大松原のひとつに数えられ、ふるさとしずおかに暮らす私たちにはお馴染みの景勝地です。
広重の浮世絵に描かれた三保の松原を見ると、この地がいかに尊ばれてきたがわかります。
皆さんご承知のように、この三保の松原は、2014年、富士山とともにユネスコ世界遺産に登録されました。

IMG_3099三保というと、私の記憶に真っ先に浮かぶのは分厚いコンクリート造りの壕。あれは、大東亜戦争末期の特攻魚雷艇『震洋』の掩体壕だったんですね。
子供ながらに、こんな身近にも戦争の軌跡があるのだと身が引き締まったものです。
とはいえ、世間一般で三保といえば、やはり、松原や灯台、羽衣の松。ほかにも海水浴やBBQ、水族館など、具体的な『アソビ』の場として身近な場所でした。
免許取りたての頃は、モーターサイクルやクルマでちょいと行くには手ごろな場所でもありました。
しかし、その後三保は少しづつ輝きを失っていきます。正確には、三保が輝きを失ったのではなく、人々が三保の輝きに気づかなくなったんですね。
そんな時代が長く続きました。

IMG_3097三保が再び人々の注目を集めたのが、先に触れた14年の世界遺産登録でした。
そして今、三保は史上空前の人気を博しています。
そんな三保に、またひとつ新しい話題が生まれました。
エコファーマー 川村農園。
この地に長く続く歴史ある農園で、前述のトマト『アイコ』や『アミノレッド』の生みの親です。

現在の当主は12代目。若くてイケメンです。奥さんもとっても美人。
化学肥料は一切使用せず、有機発酵肥料で土づくりから手間を惜しみません。
そんなこだわりの栽培方法で、甘く味の濃いトマトを生み出しています。

IMG_3098それでね、この川村農園、なんと土日祝日はcaféもやってます。
アイスジェラートやトマトジュース、この時期はメロンパフェも味わえます。
おススメはトマトジュースとメロンパフェだなぁ。
甘くてフレッシュなトマトジュースはフルーツジュースのようです。
そして、メロンパフェはまさにパーフェクトなスイーツです。

この12代目ご夫婦。
先代のご両親や周りの方々と一緒に、新しいことに挑戦するって感じで魅力があります。
こういうさわやかでひたむきな若い人っていいですね。
というわけで、どうか、どなたさまもお早めに川村農園をお訪ねください。
決して期待が裏切られることはありません。

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