我がご先祖様が徳川四天王の井伊直政に召し抱えられたしばらくののち、武田の遺臣はいつの日かのお家再興を誓い、おのおのが自らに使命を課し駿河の各地に散らばります。あるものは水路を確保し、あるものは田畑を耕し、来たるべき日のために力を蓄えておくのです。
かつてお世話になった方に、ふるさとしずおかの宿場町の大庄屋のご当主がいらっしゃいました。
ご先祖は、お家再興のため密命を持って甲州から駿河に下った武田の遺臣。
当時は、筆舌に尽くしがたい苦労があったのでしょう。
しかし、時は流れ世はすでに徳川の治世。お家再興の夢は断たれ、この地で土と共に生きる道を選んだといいます。
戦後の農地解放で多くの地所を失ったものの、街道筋に残る本家は、今も当時の隆盛を偲ばせます。江戸期には参勤交代によってもたらされる東西の珍しい植物が集まり、日本で初めての私設植物園となったのだそうです。 お家再興の夢は散っても、同家は『帯笑園』という名と、ゆくりなく人が出会うサロンとして多くの文化財を後世に残しました。
JR東海道線 三島駅のすぐ南に『楽寿園』と呼ばれる名園があります。
75,000平米ともいわれる広大な庭園は木々に覆われ、市街地からの眺めはまさに『三島の杜』ともいうべき景観ですが、この姿は、明治期の半ばに小松宮彰仁親王の別荘として整えられたものです。
その後、楽寿園は李氏朝鮮の皇太子の所有となり、昭和の初めに、伊豆の造船王 緒明圭造氏の所有を経て、戦後、一部を除いて三島市のものとなりました。
よく三島は水の町といわれますが、それは、この楽寿園に湧く富士の湧水によるものです。
園内にはいくつもの湧泉や清流が見られ、宮の別邸 楽寿館や小浜池などと合わせ、多くの見どころを持っています。
前述の大庄屋のお家は、この楽寿園ともご縁があったのだそうです。
ご当主によれば、楽寿園を分割解体から救った緒明家からお輿入れなさった方がいらしたとか。
ふるさとしずおかにはいいところがたくさんありますねぇ。
そして、それぞれに魅力的なヒストリーがある。
どうですか?そんなことを考えながら、久しぶりに楽寿園を散歩してみては。
で、きょうのおまけは、楽寿園南の江戸かわりそば 飯嶋のお蕎麦。
この時期のかわりそばは、シソ切りとレモン切りです。
美味いですよ。
味わいのある田舎そばとお上品なさらしなもおススメです。
江戸というだけあってつまみも豊富ですから、散歩の後にまずは蕎麦前で一杯ってのもオツですな。