70回目の終戦の夏を迎え、この夏は特に先の戦争を問うきっかけがここかしこに見られます。
当時の日本の事情によれば、天皇がやむを得ず『開戦の詔勅』をお示しになったのは1941年12月8日。皇紀でいう2601年。終戦の詔勅の約4年前のことです。
つまり、神武天皇が日本を統べて、今年で2675年が経ったとういわけなんですね。
すごいなぁ。実にすごい。
しかし、皆さんご承知のように、日本が統一された年代は今の科学では正確には分かっていません。
よく耳にする『倭国』。漢の時代の書物によれば、『倭国』は紀元前200年ころには既に成立していて、その傘下に100余の国を従えていたと記されています。
少し時代が下って西暦200年前後。倭国は勢力範囲にある30余の国を女王が束ね、その都は女王の国 邪馬台国に置かれていたといわれています。
そう、女王 卑弥呼です。
この邪馬台国の所在も、歴史上の論争を生んでいます。畿内にあったのか、それとも九州にあったのか。
しかし、統一日本の母体としての存在感はゆるぎないものですが、畿内、九州のいずれにあったにせよ、それは日本の西のこと。
では、その頃の日本の東側はどんなだったのでしょう。
先ごろ、ふるさとしずおかは沼津 東熊堂で驚くべき発見がありました。
国道246号線を延長し同地近くで国道1号バイパスと連結する都市計画道路、いわゆる沼津一色線の建設中、その建設予定地に東日本最大の古墳が見つかったというのです。
この古墳は、西暦200年代の前方後方墳で東国の王を祀ったものだと考えられています。
ある説によれば、卑弥呼の最大の敵、狗奴国の卑弥弓呼(ヒミココ)とも。
私は、この古墳に祀られた人物は東国の縄文人の王なのだと考えました。
ふるさとしずおか=スルガの地に、縄文人=倭人の国家が存在し、西から勢力を拡大する邪馬台国に対し、それに比肩する強大な国家を築いていたのだと。
小さな神社の境内脇に、まるで時の流れなど意に介さぬように佇む墳丘を眺め、そんな悠久の昔に思いを寄せた一日でした。
21世紀になってこんな発見があるくらいですから、もしかしたら、ふるさとしずおかは
私たちが思うよりももっともっと奥が深いのかもしれません。
さて、きょうのおまけは、沼津は大岡にある『やくみや』のワンタンメン。
大将は若いですがイイ仕事してます。
鶏と魚介のダブルスープが見事に融合。ワンタンも牛肉で手が込んでます。
どうりで混んでるわけだ。
おススメは細麺ですが、太麺もイケます。
どうか、どなたさまも急ぎご賞味あれ。