季節が行くのはまことに早い。
寒い寒いといっていたかと思えば、立春を過ぎて何となく暖かくなってきたような気がします。
さて、きょうもふるさとしずおかのよしなしごとを。
『静岡』と聞いて、全国の人々がまず思い浮かべるもの。
それは『お茶』でしょうな。間違いなく。しかも煎茶。
このお茶については、生産者の後継者問題や消費者ばなれなどが話題にのぼって長い時がたちますが、それでも生産量、出荷量、耕作面積などの多くの統計が、静岡が全国一の茶どころであることを示しています。
ということで、きょうはお茶について。
ひとくくりに静岡茶といっても、ふるさとしずおかにはその産地によって異なる特徴を持ったいくつものブランドがありますから、きょうはそのなかでも静岡茶の発祥といわれる足久保茶について取り上げます。
足久保というところは、JR静岡駅から安倍川に沿って12㎞ほど北上したところにある山間の里です。口組といわれる南部には40年ほど前から住宅地が開けましたが、それでも中心市街地から見ると人里離れた別世界。口組みから足久保川沿いに北進し奥組といわれる北部に入ると、川沿いの集落は点々として、山の斜面に開かれたいくつもの狭小地に棚田のように整然と植えられた茶畑の畝が見えてきます。
ある統計によれば、足久保には1,500世帯、4,000人が暮らしているのだそうですが、このうちの奥組に暮らすのは僅か15%だといいます。
言い伝えによると、鎌倉時代の1200年代後半、宋に学んだ禅宗の僧 円爾(えんに、のちに聖一国師)は、晩年、ふるさとであるこの地に戻り、宋から持ち帰った茶の種をこの地に植え、栽培を始めました。
これが静岡茶の発祥といわれています。
それから500年ほど時代が下り、江戸時代中期の1700年代後半。
江戸初期から献上茶、御用茶として名を馳せた足久保茶でしたが、吉宗公の諸事倹約政策によって献上茶が停止となると、かつての輝きは失われました。
しかし、再び高級煎茶の製法を甦らせる男が現れます。
初代竹茗こと山形屋庄八忠実。駿府 七間町に暖簾を構える茶商でした。
ふるさとしずおかではお馴染み 『おっ茶お茶は竹茗堂』の創業者です。
初代竹茗は、長年の研究によって、釜炒り製法で作られた焙じ茶のような茶色であった茶に対し、茶葉を蒸して揉む青茶製法を復活させ、茶の持つ香味、美しい黄緑色、旨み、苦みを引き出すことに成功したのです。
足久保茶は、始祖 聖一国師、中興の祖 初代竹茗のふたりと、茶の生産にかかわる数え切れぬ人々の手によって、800余年もの間 人々の喉を潤しています。
あの柔らかな旨味の黄緑色の茶には、こんな歴史があったんですねえ。
初代 竹茗は、巨大な石碑『狐石』に足久保茶復活を記しました。
その碑には、芭蕉の『駿河路や はなたちばなも 茶のにほい』の一句も刻まれているといいます。今じゃあ、全然読めなくなってるけど…。
おまけは、駿河区は津島町の『お抹茶 こんどう』。
大将の近藤雄介氏は、若いのに食、酒、茶に造詣の深い、研究者でもあり職人でもある粋人。
煎茶でも抹茶でも、見事な一服をいただけます。