去る11月15日は維新の立役者 坂本龍馬の150回目の命日でしたな。
落命した慶応3年11月15日は、龍馬の31回目の誕生日だったといいます。
明治の初期、考えが古い石アタマのことを天保アタマなどといったそうですが、
この天保生まれの英傑は、東洋の小さな島国の未来を憂い、
20年も30年も進んだアタマで短い一生を文字通り疾走したわけです。
龍馬は、単身でこの国の政局を動かす大仕事をやってのけたわけですが、
その決着を見ることなく凶刃に倒れます。
真犯人は誰か?
今も明らかになっていません。
龍馬の息吹を感じようと、京都を訪れるたびに伏見 寺田屋、河原町 近江屋跡地など、龍馬ゆかりの地を巡ります。
しかし、残念ながらわがふるさとしずおかには、
龍馬に連なる見どころは見つかりません。
ところが。
あったんですな。しかも、龍馬暗殺の容疑がかかる人物について。
湯島天神に生まれた幕臣 今井伸郎は、剣の腕も立ち、
長じて京都見廻組に入隊します。
農民出身者を中心に結成された新撰組に対して、この見廻組は旗本、御家人で結成された警備組織。
共に京都守護職の配下に置かれ反幕勢力の取締りを任務としました。
そして、慶応3年11月15日。
今井は、佐々木只三郎ほか5名の隊士と共に、京都は河原町 近江屋に龍馬、中岡慎太郎を急襲。
これにより、二人の維新の立役者は命を落としたのです。
その後、今井は幕軍として戊辰の役、函館戦争と転戦し、
五稜郭で降伏します。
服役2年。特赦によって出所すると、榛原郡初倉村で帰農し、
その後は地域の教育、産業の発展に尽力します。
今井は、1878年にこの地に居を構えました。
その跡地が、島田市と有志の手で保存されています。
三方を初倉の丘に囲まれた谷間の奥の奥。
南には田んぼが広がり、背後は初倉の丘がぐるりと三方を囲みます。
今では茶畑が広がるその丘に包まれるように、その跡地は谷間の一番奥にひっそりとありました。
維新が成り、薩長の主導する世が実現すると、旧幕臣は世を忍ぶように暮らしたといいます。
しかし、今井のように新政府に出仕し、再び世に尽くした人々もいたんですね。
今井はどんな思いで明治を生きたのか。
深いですなぁ。
で、きょうのおまけは、焼津にある本格ドイツパンのルンベルグ。
ライ麦のしっかりした味わいのある食べ応えのあるパン。
レバーのパテなど、強い味にも負けません。
一見、飾り気のない小さな町のパン屋ですが、きちっとした見事な仕事をするお店です。