三島というところは、水の町といわれるほど清らかな清流が多い。
人口12万に満たない小さな町ですが、
市内に鎮座する三嶋大社がその名の由来といわれる通り、
この町もそこかしこに歴史の香りが漂う魅力溢れる町のひとつです。
この三嶋大社は、一千数百年にも及ぶ歴史を持つ伊豆国一宮。
かの源頼朝が、平家打倒の狼煙を上げたことでも有名です。
きょうのお話は、その三嶋大社のちょっと東にある三嶋暦の館のお話。
江戸時代までの暦というのは、現代人の感覚でいうカレンダーとはちと違うようでしてな。
年中行事や占いによる日々の指針なんかが書かれていて、
いわゆる生活暦のようなものだったそうで。
三嶋の暦は仮名暦ともいわれ、漢字を用いずに仮名で書かれた
女性や子供向けのもので、河合家が世襲で編纂、発行したものを三嶋大社が流布したのだといいます。
歴史を紐解くと、そもそも暦というのは作物を育てるために発展したもので、
陰陽師で有名な土御門家の統制の元、気候によってその地特有の暦が作られていました。
当時、お上に認められていた暦は、西から伊勢、京、奈良、三嶋、会津の五つ。もちろん、太陰太陽暦です。
月の満ち欠けが基本ですから、1ヶ月は等しく約29日。1年だと約354日。
今の太陽暦と比べると、1年で11日もの差が生じます。
この『約』の帳尻をあわすために設けられたのが『閏月』。
3年に1度、1年が13ヶ月になるんですな。なんか不思議。
例えば、中秋の名月という言葉。
太陰太陽暦の秋は、陰陽五行に基づいたもので7~9月。
真ん中の8月のさらに真ん中が15日。つまり、8月15日が『中秋』ってわけ。
この夜に空に上がる月がまん丸で、そのまん丸のお月様を見て、
これまたまん丸のダンゴを食べるのが日本人ならではの慣習ですが、
現代の太陽暦では中秋の名月は1ヶ月も遅くやってくるんですね。
そんな話をガイドの山中さんがしてくれます。
洋の東西を問わず暦を統一することは大切ですが、
なんだか旧暦のほうが季節感があっていいね。
日本には四季があるから。
で、きょうのおまけは、三島 広小路のララ洋菓子店。
長年、三島っ子に愛されているベビーシュークリーム。
甘くてふっくらしていて食べ過ぎ間違いなし。