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掛川の報徳思想とカキ氷 抹茶味、のココロ。

『道徳』という言葉の意味を辞書で調べると、『人が善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体』とあります。
深いですなあ。

IMG_6126事業を営んでいると、ある時は、知った顔の儲け方に『あいつは品のない稼ぎ方をする』と注文を付けたくなったり、またある時は、自身の商売に『これは本当に世のためになっているのか?』なんて疑問を感じたりすることもあります。
誰もが『正しい』、そして『世のためになる』儲け方をしたいと思うのでしょうが、周りを見渡してみると『儲かればいいじゃん』と顔に書いてある人も結構います。

IMG_6131遠州は掛川の公益社団法人 大日本報徳社は、二宮尊徳翁が唱える報徳思想の普及活動を続ける全国各地の報徳社の総本山。
つまり、師曰く、私利私欲に走らず世のため人のために尽くせば、
やがてそれが実となって自らに還元される、というのですな。
まことに清廉なすばらしい考え方です。品格を感じますな。
かくあるべしと思います。
この大日本報徳社。皇室とも所縁があり、掛川城に隣接する本拠には実に魅力的な歴史的建造物群が多く残り、そのほとんどが平成の今も思想普及の学び舎として使われています。

IMG_6137掛川というところは、人口僅かに12万。周辺を含めた商圏人口も30万に満たない小さな町ですが、実にみどころが多い。
城を中心に発展した歴史そのままに、今も掛川城をとりまく中心地には、木造で再建された天守をはじめ、先の報徳社の歴史的建造物群、幕末期の二の丸御殿、太鼓櫓に、城の鬼門を守った龍尾神社など、平成の今もこの街が如何に歴史を紡いできたのかがわかる史跡が各地に残ります。

IMG_6147 そして、かつての城の郭 竹の丸に残る旧家『竹の丸』。IMG_6144
明治の終わりに、葛布の商いで財を成した松本翁が建てたこの名建築は、式台玄関が設けられて一見武家屋敷のよう。
贅を尽くした離れの二階 貴賓室は、
近代豪商の栄華を今に伝えています。
きっと、松本翁も報徳の精神に基づいた立派な商いをした人物に違いありません。

母屋の土間では、掛川産の抹茶を使ったカキ氷やロールケーキもいただけます。
いやはや、掛川の時間旅行は実に楽しい。

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遠州 関所と稲勝さんのとんかつ、のココロ。

21世紀ともなると、モノ、カネ、ヒト、ジョウホウの流通速度はすさまじく、
ライアル・ワトソン氏のいう100匹目のサルは世界各地で出現するのでしょうが、
かつて、世界の文化伝播や物流は海運が中心でした。
そんな、中世の理を今に伝える二つの地が、遠州は浜名湖の北岸と南岸に残ります。
気賀と新居。
ということで、きょうのふるさとしずおかのお話は、前回に引き続き遠州のお話。

IMG_2684気賀というところは、東海道の見付宿と御油宿の間を、浜名湖の北岸で結ぶ街道
本坂通 にある宿場町です。本坂通とは、いわゆる姫街道のことですな。
気賀は、浜名湖の正に北岸に位置していて、その背後には遠州の山々が連なり
南は浜名の海に挟まれた、まさに要害の地でした。
町を南北に貫く都田川に橋はなく、当時の人々は渡し舟で往来したといいます。
1498年の明応の大地震によって南岸 東海道新居の交通が困難になると、
北岸の気賀が地勢的に有利になってヒト、モノ、カネ、ジョウホウが集まったんですな。
いわゆる自由都市のようなものが気賀に出来上がったという人もいます。

IMG_5997一方の新居は、東海道の舞阪宿、白須賀宿の間 浜名湖南岸の宿場。
今切口といわれる浜名湖と遠州灘のつながる開口部があり、
同地も気賀と同じく古くから東海道の要所とされていました。
浜名川と東海道が交差する地勢で、古くから賑わったモノの集積地的な
機能を持った港湾都市 新居。
しかし、前述の明応の大地震による津波で大きな被害を受け、
浜名湖の開口部は沈下し今切口は決壊。
これによって浜名湖は汽水化したのだといいます。

IMG_6006この二つの港湾都市には、今も中世の関所跡が現存します。
『気賀関所』と『新居関所』。
ともに、往時を偲ぶ絶好の史跡です。いずれも浜名の湖の恵みに育まれたもので、
いにしえのヒト、カネ、モノ、ジョウホウの伝播、流通を学ぶ良きところです。

IMG_5996で、きょうのおまけは、浜松は肴町の名店 とんかつ『幸楽』。
『人生をとんかつに賭けた』という名人 稲勝さんの揚げるとんかつは
他に並ぶもの無し。
そう断言できる一品です。ホントに美味い。
脂がさらっとしていて、これがホンモノのとんかつか!と驚くこと間違いなし。
稲勝さん、どうか、末永く暖簾を守ってくださいね。

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