『祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす』
習いましたなぁ。若い頃。
なかなか暗記できませんでした。
ご承知のように、これはかの平家物語の冒頭の一文。 おごれる平氏も久しからずや、盛えたものは必ず衰える、思い上がったものは長くは続かない。人の世は栄え衰えることの繰り返しであると、世の習いを説いています。
清盛によって栄華を極めた平氏でしたが、その運命は、清盛の死後、源氏の台頭によって長門の国 壇ノ浦の波間に消え行くことになります。
ところでこの平氏という一門。元を辿るとやんごとなき血筋の一族なんですね。
いくつかの系統がありますが、もっとも有名なのは桓武平氏。 時は9世紀。第50代天皇 桓武天皇の第三皇子 葛原親王(かずわらしんのう)が子女の臣籍降下を願い出てこれを許され、親王の三人の皇子は平の姓を賜りそれぞれ皇族の身分を離れ下野します。
これが桓武平氏の始まりです。
皇子のうち末子の高望王は平高望を名乗りましたが、これが桓武平氏 高望流の始まりで、この系統から、後の日本史に名を残す多くの人物が排出されます。
高望は、現在の千葉にあたる上総を治める役に就き、子の国香らを連れ任地に下向します。 そして、その地で後に坂東平氏と呼ばれることになる武士団を形成しました。
このうちから、『新皇』を名乗る男が現れます。
そう、平将門です。
将門公は、高望王の孫。つまり、桓武天皇に連なる家系だったんですね。
将門公が関東王権に託した夢は儚く散りますが、その100年後に清盛が権勢を極めたのは周知のことです。
皇統に刃を向けはしたものの、大河ドラマ「風と雲と虹と」で描かれた加藤剛演じる将門公は、正義と情けを持った立派な武将でした。
ところでこの平氏。
落人が隠れ住んだといわれる「隠れ里」が全国に点在します。 なんと、わがふるさとしずおかにも。
伝承では、「平」がつく地名に多いんですね。なるほど納得。 そういわれるうちの多くが、平成の今も人里離れた当時の風情を残し往時をしのばせます。
まさに栄枯盛衰。しかし、人はなんとしぶとく強いものか。