裂織(さきおり)という織物技術があります。
江戸の昔、まだ綿や絹などの繊維製品が貴重であった時代に、古くなった布を裂き再生する技法やそれによって新たに生まれ変わった布や着物を指す言葉です。
私たちのふるさとしずおかにもありました。
駿河裂織倶楽部。
東海道は旧蒲原宿に、この伝統の技法を今に伝える活動をするNPOがあります。
ということで、きょうもふるさとしずおかはいいねぇという話をひとつ。
お江戸日本橋から数えて15番目の宿場 蒲原。
普段通り過ぎるだけのこの小さな町は、江戸の昔は結構立派な宿場でした。
広重の東海道五拾三次の「雪の夜」にも描かれ、当時は全国的にも有名な町だったのです。
この宿場の旧本陣前に、19世紀初めの安政年間に建てられ、今もその姿をとどめる旧上旅籠 和泉屋が残っています。
蒲原宿には、最盛期には大小合わせて40もの旅籠が軒を連ねていたそうですが、安政の大地震にも耐え、180年の時を経て今も残っているのはこの和泉屋だけです。
いにしえの風情を今に伝える和泉屋は、現在は旧東海道を散策する人々に『お休み処』として親しまれ、06年には国の登録有形文化財となりました。
登録有形文化財といえば、蒲原にはもうひとつ。
旧五十嵐邸。
江戸期~明治に建てられた町屋が元ですが、大正、昭和と3度の改築で洋館の外観をまとった歯科医院を兼ねた屋敷です。
ここね、非常に面白い。
広さや造作にも感心させられますが、欄間や襖絵、床の間の部材など、見どころは尽きません。
先のNPO駿河裂織倶楽部は、その本拠を『お休み処』に置いています。
代表の朝原さんは元々は絵織物作家ですが、親子三代にわたって駿河裂織の伝承活動を続けています。
そうそう、『お休み処』ではもうひとつ出会いがありました。
東海道の道程およそ500㎞を走破する『東海道ULTRA MARANIC』を主宰する阪本さん。
きっと、当時の旅籠って、こんなふうにゆくりなく人が出会い別れるところだったんでしょうねぇ。
おまけは、蒲原宿『お休み処』で売っている『焼き梅』。
顔が曲がるほど酸っぱいですが、まだ夏日が続く晩夏にはピッタリです。
血液サラサラにもなるし。