三嶋暦とベビーシュークリーム、のココロ。

IMG_6321三島というところは、水の町といわれるほど清らかな清流が多い。
人口12万に満たない小さな町ですが、
市内に鎮座する三嶋大社がその名の由来といわれる通り、
この町もそこかしこに歴史の香りが漂う魅力溢れる町のひとつです。
この三嶋大社は、一千数百年にも及ぶ歴史を持つ伊豆国一宮。
かの源頼朝が、平家打倒の狼煙を上げたことでも有名です。
きょうのお話は、その三嶋大社のちょっと東にある三嶋暦の館のお話。

IMG_6294 江戸時代までの暦というのは、現代人の感覚でいうカレンダーとはちと違うようでしてな。
年中行事や占いによる日々の指針なんかが書かれていて、
いわゆる生活暦のようなものだったそうで。
三嶋の暦は仮名暦ともいわれ、漢字を用いずに仮名で書かれた
女性や子供向けのもので、河合家が世襲で編纂、発行したものを三嶋大社が流布したのだといいます。
歴史を紐解くと、そもそも暦というのは作物を育てるために発展したもので、
陰陽師で有名な土御門家の統制の元、気候によってその地特有の暦が作られていました。

IMG_6296当時、お上に認められていた暦は、西から伊勢、京、奈良、三嶋、会津の五つ。もちろん、太陰太陽暦です。
月の満ち欠けが基本ですから、1ヶ月は等しく約29日。1年だと約354日。
今の太陽暦と比べると、1年で11日もの差が生じます。
この『約』の帳尻をあわすために設けられたのが『閏月』。
3年に1度、1年が13ヶ月になるんですな。なんか不思議。
例えば、中秋の名月という言葉。
太陰太陽暦の秋は、陰陽五行に基づいたもので7~9月。
FullSizeR真ん中の8月のさらに真ん中が15日。つまり、8月15日が『中秋』ってわけ。
この夜に空に上がる月がまん丸で、そのまん丸のお月様を見て、
これまたまん丸のダンゴを食べるのが日本人ならではの慣習ですが、
現代の太陽暦では中秋の名月は1ヶ月も遅くやってくるんですね。
そんな話をガイドの山中さんがしてくれます。
洋の東西を問わず暦を統一することは大切ですが、
IMG_6301なんだか旧暦のほうが季節感があっていいね。
日本には四季があるから。

で、きょうのおまけは、三島 広小路のララ洋菓子店。
長年、三島っ子に愛されているベビーシュークリーム。
甘くてふっくらしていて食べ過ぎ間違いなし。

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東海館とうな重のまとい、のココロ。

えー、伊東というところは、東伊豆の中ほどにある観光名所。
伊豆観光でいうところの横綱みたいなものですな。
IMG_6186見どころを挙げれば、伊東温泉に始まり伊豆高原には
大室山や城ヶ崎海岸に一碧湖、さらには、20世紀美術館に川奈ホテルと枚挙に暇ありません。
人口僅かに7万人。小さな小さな海沿いの町は、首都から近い地の利も手伝って、近代以降は観光都市としてその歴史を重ねてきました。

ということで、きょうのふるさとしずおかのよしなしごとは、伊東のお話を少し。

IMG_6198伊東といえばビギナーはまず伊豆高原でしょうな。
ワタシにも思い出があります。
かわいいかわいいガールフレンドと一碧湖でボートに乗ったりして。
かれこれ30年以上前の話ですが。
まぁしかし。
郊外の観光地もいいものですが、大人になると中心街の深~い魅力に惹かれます。
センチメンタルでノスタルジック。古き良き時代の温泉街の幻影に出会えます。
JR伊東駅から南に約1km。伊東市街を東西に分断して流れる松川に架かる大川橋近く。
1928年 開業の温泉旅館 東海館は、70年に及んだ営業を終え、
2001年から同市の文化施設としてその内部が公開さています。
IMG_6204この東海館が今回の一押し。
まさに、大正から昭和初期の古き良き温泉街の情緒をたっぷりと湛えた木造三階建ての温泉旅館。
38年に伊東線が開通した後に、同館は黄金期を迎えたといいます。
創業者の稲葉安太郎氏は、生業が木材業であったことから、その所有する貴重な木材を惜しみなく同館の建築に投入しました。
階毎に3人の棟梁が腕を競い合った異なる意匠の彫刻、3階の120畳の大広間、ローマ風のタイル風呂、そして屋上の望楼など、見どころは尽きません。
IMG_6208館内はまさに昭和初期への時間旅行。
この日はダメでしたが、同館は日帰りの浴場利用も可能だとか。
つかの間ですが、現を忘れて古の温泉旅館を楽しめます。

腹が減ったら、伊東随一のうなぎ屋『まとい』 へどうぞ。
タイムスリップを終え、老舗旅館の唐破風を出ると、まさにそのまん前に暖簾を構える人気店。
FullSizeR醤油の香味がきりっとした、甘みを押さえたタレにふっかふかの柔らかな蒲焼き。
お店の繁盛ぶりにも納得。
うなぎはいいね。池波正太郎先生の教えどおり、うなぎはがっついて食べるべし。

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掛川の報徳思想とカキ氷 抹茶味、のココロ。

『道徳』という言葉の意味を辞書で調べると、『人が善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体』とあります。
深いですなあ。

IMG_6126事業を営んでいると、ある時は、知った顔の儲け方に『あいつは品のない稼ぎ方をする』と注文を付けたくなったり、またある時は、自身の商売に『これは本当に世のためになっているのか?』なんて疑問を感じたりすることもあります。
誰もが『正しい』、そして『世のためになる』儲け方をしたいと思うのでしょうが、周りを見渡してみると『儲かればいいじゃん』と顔に書いてある人も結構います。

IMG_6131遠州は掛川の公益社団法人 大日本報徳社は、二宮尊徳翁が唱える報徳思想の普及活動を続ける全国各地の報徳社の総本山。
つまり、師曰く、私利私欲に走らず世のため人のために尽くせば、
やがてそれが実となって自らに還元される、というのですな。
まことに清廉なすばらしい考え方です。品格を感じますな。
かくあるべしと思います。
この大日本報徳社。皇室とも所縁があり、掛川城に隣接する本拠には実に魅力的な歴史的建造物群が多く残り、そのほとんどが平成の今も思想普及の学び舎として使われています。

IMG_6137掛川というところは、人口僅かに12万。周辺を含めた商圏人口も30万に満たない小さな町ですが、実にみどころが多い。
城を中心に発展した歴史そのままに、今も掛川城をとりまく中心地には、木造で再建された天守をはじめ、先の報徳社の歴史的建造物群、幕末期の二の丸御殿、太鼓櫓に、城の鬼門を守った龍尾神社など、平成の今もこの街が如何に歴史を紡いできたのかがわかる史跡が各地に残ります。

IMG_6147 そして、かつての城の郭 竹の丸に残る旧家『竹の丸』。IMG_6144
明治の終わりに、葛布の商いで財を成した松本翁が建てたこの名建築は、式台玄関が設けられて一見武家屋敷のよう。
贅を尽くした離れの二階 貴賓室は、
近代豪商の栄華を今に伝えています。
きっと、松本翁も報徳の精神に基づいた立派な商いをした人物に違いありません。

母屋の土間では、掛川産の抹茶を使ったカキ氷やロールケーキもいただけます。
いやはや、掛川の時間旅行は実に楽しい。

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遠州 関所と稲勝さんのとんかつ、のココロ。

21世紀ともなると、モノ、カネ、ヒト、ジョウホウの流通速度はすさまじく、
ライアル・ワトソン氏のいう100匹目のサルは世界各地で出現するのでしょうが、
かつて、世界の文化伝播や物流は海運が中心でした。
そんな、中世の理を今に伝える二つの地が、遠州は浜名湖の北岸と南岸に残ります。
気賀と新居。
ということで、きょうのふるさとしずおかのお話は、前回に引き続き遠州のお話。

IMG_2684気賀というところは、東海道の見付宿と御油宿の間を、浜名湖の北岸で結ぶ街道
本坂通 にある宿場町です。本坂通とは、いわゆる姫街道のことですな。
気賀は、浜名湖の正に北岸に位置していて、その背後には遠州の山々が連なり
南は浜名の海に挟まれた、まさに要害の地でした。
町を南北に貫く都田川に橋はなく、当時の人々は渡し舟で往来したといいます。
1498年の明応の大地震によって南岸 東海道新居の交通が困難になると、
北岸の気賀が地勢的に有利になってヒト、モノ、カネ、ジョウホウが集まったんですな。
いわゆる自由都市のようなものが気賀に出来上がったという人もいます。

IMG_5997一方の新居は、東海道の舞阪宿、白須賀宿の間 浜名湖南岸の宿場。
今切口といわれる浜名湖と遠州灘のつながる開口部があり、
同地も気賀と同じく古くから東海道の要所とされていました。
浜名川と東海道が交差する地勢で、古くから賑わったモノの集積地的な
機能を持った港湾都市 新居。
しかし、前述の明応の大地震による津波で大きな被害を受け、
浜名湖の開口部は沈下し今切口は決壊。
これによって浜名湖は汽水化したのだといいます。

IMG_6006この二つの港湾都市には、今も中世の関所跡が現存します。
『気賀関所』と『新居関所』。
ともに、往時を偲ぶ絶好の史跡です。いずれも浜名の湖の恵みに育まれたもので、
いにしえのヒト、カネ、モノ、ジョウホウの伝播、流通を学ぶ良きところです。

IMG_5996で、きょうのおまけは、浜松は肴町の名店 とんかつ『幸楽』。
『人生をとんかつに賭けた』という名人 稲勝さんの揚げるとんかつは
他に並ぶもの無し。
そう断言できる一品です。ホントに美味い。
脂がさらっとしていて、これがホンモノのとんかつか!と驚くこと間違いなし。
稲勝さん、どうか、末永く暖簾を守ってくださいね。

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井伊谷と出世ダンゴ、のココロ。

えー、遠州は浜名湖の北東4kmほどのところに、古くから『井伊谷(いいのや)』と 呼ばれる小さな谷があります。人口4,000人に満たない小さな町。
今、この静かな谷間の町は空前の観光ブームを迎えています。
NHK大河ドラマが、この谷の国人領主 井伊氏を取り上げたのです。
きょうは、この井伊谷のお話を少し。

IMG_6061井伊氏は、南朝の昔からこの地を本貫とする豪族、いわゆる国人領主です。
しかし、井伊のような小規模領主は、平時であればともかく、
乱世ともなると国境を接する大規模勢力の動静を見極めねばならず、
その領地運営の舵取りは困難を極めます。
時は戦国。東に仰ぐは駿河の太守 名家今川。
井伊氏は、足利の血を引くこの名門の軍門に降り
所領の安堵を得たものの、時のうねりは平安な暮らしを許しません。

IMG_5966大きな傘であったはずの今川は衰退期に入り、南下する甲斐の古豪 武田、
それに呼応した三河の新興勢力 徳川の挟撃を受けます。
井伊の運命や如何に。
この難局から井伊を救ったのが、時の当主 尼小僧 次郎法師、おんな城主 直虎です。
この後に家督を継いだ直政は、徳川家家中でめきめきと頭角を現し、
若輩ながら四天王の末席に名を連ねるほどに出世します。
以来、その宗家 掃部頭(かもんのかみ)家は15代にわたって幕閣に深く関わり、
幕末には大老 掃部頭 直弼を輩出します。

IMG_5982この井伊谷の見どころは大きく分けて二つ。
神宮寺川で南北に分けられた、井伊谷城址のある北側と龍澤寺のある南側。
城山の南端に突き出た峰に残る城址からは、
のどかな谷間に田圃が広がる井伊谷の様子がパノラマに広がります。

一方、井伊家の菩提寺 龍澤寺は、小堀遠州作庭の庭が美しい、
それはそれはすばらしいお寺です。
寺の北には、後醍醐帝の皇子 宗良親王のご陵墓もあります。さすが、南朝派。

IMG_5986そして、寺の山門を出て南へ下るとお待ちかねの休憩処。
名物『出世だんご』は、ふりかけられた浜納豆の塩気が効いて旅の疲れを癒します。
おまけは、同店の『カキ氷 三ケ日みかん氷』。
これもすばらしい。
店の兄さんもイケメンだし。

言い伝えよれば、常に民と共にあった国人領主時代の井伊家の領地支配。
井伊谷は、そんな中世の記憶を今ににとどめる、ロマンチックな谷間の町でした。

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日坂宿と宮正路園のメロンスムージー、のココロ。

IMG_5862毎日 暑いですな。
こう暑いと、知恵も体力も見えない何かになって空に吸い取られているような気がします。
しかし、腹を括ればそれもまた気持ちの良いもので、いっそのこと、外へ出掛けて思う存分汗をかくのも爽快です。

えー、きょうは掛川のお話。
掛川と一口にいっても、見どころが多過ぎていけません。
数ある見どころの中から、きょうは本blogらしく日坂宿のよしなしごとを。

IMG_5864日坂宿は、お江戸は日本橋から数えて25番目、遠州最初の宿場です。
東に掛川宿、西に金谷宿、かつては箱根峠、鈴鹿峠と合わせて東海道三大難所といわた、夜泣き石で有名な峠 小夜の中山(さよのなかやま)の西に位置します。
今では、国1バイパスや旧国1であっという間に越しちゃうんですけどね。

山間の小さな集落、文字通りの山里で、ひとたび長雨や増水で大井川が越せぬとなれば、
西から江戸へ下る旅人は金谷宿に足止めされ、さらに日坂宿にも溢れたといいます。
そんなことから、この小さな山里には大小合わせて33の旅籠がありました。
平成の世を迎えて久しい今も、そのうちの特徴的な三つの建物を観て、触れて、体験することができます。
地域と有志の皆さんの努力に感謝。

IMG_5853そのひとつが大旅籠の「川坂屋」。
宿場町の西のはずれに位置するこの大旅籠は、ヒノキの上段の間が造られ、その精巧な木組みや格子、欄間の造りから、武家や公家も逗留したといわれます。
広大だった敷地は、現在では旧国1の拡幅や国1バイパスの橋脚に取られましたが、それでも、当時の姿と格式を今に伝えています。
これまで、あちこちの宿場を訪ね多くの旅籠を観ましたが、この大旅籠は実にすばらしい。
IMG_5903そして、その東には一般市民が利用した旅籠「萬屋」。こういう宿には、いわゆる「飯盛り女」みたいな人がいたんでしょうなぁ。
最後に、宿場の要職 問屋場(といやば)、今で言う郵便局+レンタカー屋さんを務めた伊藤 文七が暮らした「藤文」。この時期、母屋裏の蔵前には、アジサイがひっそりと咲いています。

シブいシブい宿場跡ですが、ここは観光客で賑わう他の宿場とは一味違う魅力があります。
家々は、今もいにしえの屋号を軒先に掲げます。
「山田屋」、「わた屋」、「近江屋」、「八文字屋」…。
江戸の息遣いが今もなお聞こえるようです。

IMG_5904きょうのおまけは、道の駅 掛川のメロンかき氷。
氷室でじっくりと冷やした氷に、掛川産クラウンメロンのシロップがたっぷり。
それと、宮正路園のメロンスムージー。なんとメロン100%。これがまた格別。
いつも変わらぬおばさんの笑顔と心遣いにも感謝。
一杯900円也。損はないよ。

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ペルリ提督とキンメダイ、のココロ。

下田というところは、ふるさとしずおかは伊豆国の中でも知名度が高い。
幕末の黒船来航によるものなんでしょうな。
黒船来航、日米和親条約の締結。
その後、横浜港が開港されるまでのおよそ5年の間は、
この地は文字通り日本でもっとも米国に近いところであったわけです。
というわけで、きょうのよしなしごとは伊豆国は下田のお話。

下田というところは、古くから漁業と観光の町として栄えましたが、
そこで暮らすのはおよそ22,000人。小さな小さな町です。
ここ数年は、長引く不況や震災の影響を受けた大型観光施設の閉鎖による大量解雇など
深刻な問題も抱えています。

IMG_5737しかし、しかし。
この下田にはたくさんの見所があるんですな。
例えば、爪木崎。
東にちょこんと飛び出た須崎半島の東端にあるこの地は水仙の名所。
12月から2月にかけて300万本の水仙が花を咲かせます。
小さな入江に俵磯と呼ばれる溶岩石と白亜の灯台。
穏やかで美しい風景です。
IMG_3062そして、なんと言っても懐古情緒いっぱいのペリーロード。
石造りの蔵やなまこ壁の建物が残るこの道は、
ペルリ提督が下田に上陸したとき、
西に位置する了仙寺まで乗組員300人を引き連れて
行進した道といわれています。
この道の中ほどにある骨董&珈琲の風待工房。
暖簾をくぐると、歴史を刻んだ様々な陶器と香ばしい珈琲の香りが旅人を出迎えます。
IMG_5754物静かで優しい笑顔の亭主はオートバイ乗り。
イタリーのDUCATIを愛する自由人です。
なんと、この古い店 以前は蕎麦屋だったとか。
この港町が栄えた時代には、この店の蕎麦がお女郎さんの空腹を満たしたんでしょうなぁ。
川辺の柳がそんないにしえの時を想像させます。
それから、この時期 了仙寺は境内のアメリカジャスミンが満開。
とってもいい匂いがします。

IMG_5757で、きょうのおまけは下田バーガー。
キンメダイのフライをはさんだご当地グルメ。
香ばしい衣がふっくらした白身を包みます。
甘めのソースがよろしい。
キンメダイはやっぱり美味いね。
下田港は漁獲量日本一なんだってさ。

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ご馳走になったら翌朝一番にお礼を言おう、のココロ。

歓送迎会のシーズンですなぁ。
近頃は、人材不足や過重労働の問題などを背景に、企業も強引な配置転換はそうそうできないようですが、ほろ苦い別れは社会に出てもあるんですな。
私が社会人になった頃は、今とは少し違った理由で上司や先輩は腫れ物を触るような雰囲気がありました。
FullSizeRenderまぁ、バブル経済真っ只中で、人手不足を背景に甘やかされた面は今と同じですが、それよりも、それ以前とは違って、会社や上司の指示命令やプライベートな誘いを素直に受け入れない世代だったからかも知れません。
いわゆる「新人類」といわれる世代の後半だったんですね。
上司や先輩に「おい、今夜一杯行くぞ。」と誘いがあっても、「きょうは用事がありますから。」なんて、軽く断ることができた最初の世代でした。
IMG_5090しかし、それでも、お供をしてご馳走になった翌日の朝は、上司や先輩の出勤を今か今かと待ち構え、朝イチで前夜のお礼を言ったものです。

ところが、今の若い人たちには、このささやかなお礼さえ言えない人が多い。
たった一言「夕べはご馳走様でした」というだけのことができないのです。
IMG_5091その一言で「アイツはしっかりしているな」と高評価が得られるわけですが、それよりも、人付き合いの最低限の礼儀を欠くと考えたほうがよろしい。まぁ、躾のレベルです。
大人が悪いんですね。こういうことは、誰かが教えるだろうと人任せにしてはいけません。
気づいた人が、きちんと指導しなくては。
だから、私たちは、こういうことも含めて人を育てることに手を抜いてはいけないと思うのです。

IMG_5094先日、いい歳をしてご馳走になりました。
ありがたやありがたや。
清水の「グリーンハウス」。
知る人ぞ知る、寿司の名店。
なにしろ、安くて美味い。
お財布にやさしいといっても、その仕事にぬかりはありません。
職人のきちんとした仕事ぶりは、その一貫一貫から十分ににじみ出ています。
IMG_5096評判が評判を呼んで、予約はなんと1年待ち。
ランチ営業のみの店内は、舌の肥えた女性客で常に満席。3回転はしているかもしれません。
さすが、みなと街しみず。
しかし、次回がまた1年後とは本当に待ち遠しい。
もちろん、お礼は翌朝一番にしましたよ。

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「熱い海」と書いて「熱海」と読む、のココロ。

IMG_5126熱海というところは、昔は「阿多美」と書いたそうですな。
ものの本によると、古墳時代にはすでに知られた温泉地で、海中から熱湯が湧き出ることから「熱い海」で「熱海」という名が付いたとか。
なるほど、地名というのは面白い。
ということで、きょうのふるさとしずおかのよしなしごとは熱海のお話。

IMG_5127私が子供の頃、この熱海はとっても賑わいのある温泉街でした。都心からも近く、当時は新婚旅行のカップルも多く訪れたのだそうです。ところが、その後は東海道新幹線開通に伴う消費動向の変化や、自然災害のリスクを伴う地であることなどを理由に、特にバブル期以降は客足が遠のき、長い間かつての輝きは失われたままでした。
しかし、しかし。
近頃の熱海は一味違います。
市街地を中心に客足が戻り、駅前の商店街も多くの観光客で賑わっています。
熱海駅の駅ビルも新装オープンしたし。
行政のたゆまぬ努力、伊豆縦貫道の開通や地元を愛する若い世代の活躍などその理由は様々ですが、こうしてふるさとしずおかの街がにぎわいを取り戻すことは真に喜ばしい。

FullSizeRender 熱海は、元々強いブランド力を持っていたわけですが、こういう歴史のある温泉街というのは、メジャーなみどころにスポットライトが当たる一方で、それ以外の、昔から綿々と暖簾を守り続けてきた玄人向けの世界が存在します。
老舗旅館やお茶屋には明治の文人たちの残り香が、路地裏には怪しげなストリップ劇場などの風俗店の名残り、何十年にも渡って多くの「大人」を育てたJAZZ喫茶。
これらが混ざり合ったマーブル模様こそがこの街の大きな魅力です。
時間をかけて、そんな熱海の深ーい魅力を探る旅、してみませんか?

IMG_4978 きょうのおまけは、熱海市街の老舗2店の看板メニュー。
「わんたんや」のチャーシューワンタンメンと
そのご近所「まさる」の海鮮丼。
どちらも素晴らしい。
自分ひとりで楽しむもよし。大切な誰かを誘ってもよし。
きっと絆が強まります。

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春の気配は掛川で、のココロ。

NHK大河ドラマの「おんな城主 直虎」、盛り上がってますなぁ。
井伊氏の本庄の井伊谷も、多くの観光客で賑わっているようです。
後年、我がご先祖様が井伊氏に仕える頃には井伊の宗家は井伊谷を離れ、
上州、江州と大名の出世街道を歩みますが、物語はまだその前。
しかし、ふるさとしずおかが賑わい、我がご先祖様がお仕えした直正公に
スポットライトが当たるのはまことに喜ばしい。

IMG_5054 歴史によると、直正公が再興した井伊宗家は、
我がご先祖様など旧武田家家臣を従え
上州箕輪、江州佐和山と領地を変える一方、
分家筋は本来の譜代の家臣を引き連れ立藩し、
一時期、掛川藩を治めたといいます。
きょうのお話は、その掛川のお話。

この時期は、梅が見ごろですなぁ。
桜も日本らしい華やかさがありますが、梅には、なんといいましょうか、
さらに日本的な奥ゆかしさを感じます。
まだ、肌寒い時期に観るからでしょうが、
桜に比べて、慎ましやかさとか凛とした微かな厳しさを感じます。
IMG_5056ふるさとしずおかにも、いわゆる「梅園」や「梅林」と呼ばれる梅の名所は数多ありますが、中でも有名なのは、駿府の洞慶院、丸子梅園、伊豆の国では熱海梅園、修善寺梅林、そして遠江ではなんと言っても掛川 龍尾神社の枝垂れ梅でしょうな。
この龍尾神社は、掛川城の丑寅の方位に位置することから、
長く城の守護として崇拝を受けたということです。
境内の花庭園には見事な枝垂れ梅が咲き乱れ、まさに今が見ごろ。
IMG_5065龍に例えられた山の頂には、紅白の枝垂れ梅が実に300本。刹那に花を咲かせています。
眼下には、掛川城も見下ろせます。
間違いなく、入場料600円以上の価値がありますな。
どうぞ、この週末は、掛川 龍尾神社の花庭園にお出かけください。

 

IMG_5050 で、掛川でなぜマグロ?とお思いでしょうが、
お食事は亀の甲の 鮪屋みやぎへどうぞ。
魚屋+定食屋といった雰囲気の同店は、開店間もなくあっという間に満席になる人気店。
新鮮で美味い魚を、驚くほど良心的な価格で提供してくれます。
おかみさんや従業員の皆さんもとってもフレンドリー。
オススメのお店です。
アナゴがヒジョーに美味かったですな。アナゴが。

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